日本維新の会 「誰がやっても同じ」なら
編集長・近藤真史
産経新聞 2012.9.18 [正論・西論]国を動かしたいのならば、中央に来て雄たけびを上げることだ。全国に檄を飛ばして国政は始まる。中曽根康弘元首相は14日付の本紙「転換への挑戦」で、日本維新の会を発足させた橋下徹大阪市長について、こう書いている。必ずしも大阪から全国に檄を飛ばすことができないとは思わないが「市長を務めながら国政も担おうとは、政治のいろはを知らない」という元首相の指摘は当然である。元首相・中曽根康弘 見えない「国のかたち」
中曽根康弘 2012.9.14
消費税増税法は成立した。では、民主党政権の次の政策課題は何なのか―― 。野田佳彦首相からの発信はないままだ。民主党は、政権交代を訴え、国民の期待とともに先の衆院選に大勝した。しかし、マニフェスト(政権公約)は早々に破綻し、離党者が相次ぎ四苦八苦している。しかしながら、ただ漫然と政権を維持していることが許されるはずはない。外交では、今まさに主権護持と領土堅持、つまり独立国家としての政府の毅然たる存在を示すときなのに、曖昧模糊となっている。韓国大統領の竹島上陸や天皇陛下をめぐる発言への野田政権の対応はもっと厳然とやるべきであり、尖閣諸島の購入も、世論や石原慎太郎東京都知事の発言に触発されて決めた印象を受けざるを得ない。事が起こってから必死に対応しようとする受け身の姿勢ばかりが目立つ。内政でも、場当たり的な問題処理に追われるばかりで、積極的な改革論が影を潜めている。中長期の観点からの確信に満ちた国策や政策を打ち出せていない。自民党的政治の延長でしかない感をぬぐえない。しかし、一方で自民党は、いまだにいささか与党ぼけしている。失策続きの民主党政権を倒す野党精神が見えてこない。消費税増税法に協力したことは明日の日本を考えれば当を得たことだろう。民主党と組むのか大阪維新の会と組むのか、国民は見ているが、党の主体性が明瞭でない。野党であるならば、今こそ民主党政権の政策の欠点を徹底的に洗い出し、次期衆院選の公約策定につなげるべきだ。その上で、野田政権を衆院解散へ追い込み、衆院選では「単独過半数」を目標議席に掲げ、自民党単独政権を目指すのが常道ではないか。今から連立政権を想定して発言するのは本末転倒である。衆院の任期が1年を切った。民主党も自民党も、そろそろ「夏休みぼけ」を払拭し、党の柱となる政策を提示するときだ。国民からみると、今の両党は違いの分からない「同類項」的様相であり、国民の不信を一層助長させかねない。政策課題は憲法、教育、そして国と地方のあり方を含めた統治機構、外交と山積している。いずれも国家戦略に絡む。一方、原発再稼働の問題はエネルギー問題の将来として考えるべきだろう。「原発廃止」の声は代替エネルギーや料金値上げ、環境という問題に直面するとどうなるか。大阪維新の会も、「維新八策」で憲法や教育、統治機構を示した。ただ、維新八策には迫力が感じられない。大阪の視点で考えたからであり、中央にどっしり腰を据えて、八方にらみで出てきた重い「国のかたち」、すなわち国家戦略が見えてこないのだ。憲法・外交が欠けるとこのようになる。大阪で燃え上がった改革の炎を国に広げようとしても、橋下徹代表が大阪市長にとどまる限り、炎は大阪で止まる。しかも、市長を務めながら国政も担おうとは、政治のいろはを知らない。国を動かしたいのならば、中央に来て雄たけびを上げることだ。全国に檄(げき)を飛ばして国政は始まる。橋下氏は「プライベートな時間を削ればいいだけ。寝る時間を削るのか、遊びに行く時間を削るかして、それを国政にやればいい」と反論する。しかし、大阪市政の片手間でできるほど国政は甘くないし、それでは大阪以外の有権者の期待に応えられない。5年前、「2万%ない」と完全否定してから1週間もたたずに発言を撤回し、大阪府知事選に出馬を表明した。昨年は「意中の人は維新外部」と言い続けながら維新の大阪府議だった松井一郎氏を知事選に擁立した。選挙に関しては前言を翻してきた橋下氏だ。衆院の解散時期が不透明になる中、出馬を否定してきた自らの言葉を見直すときが遠からず来るのではないか。■国政より市政、価値観より数
すでに国政と大阪市政を兼務する無理は出始めている。ひとつは公明党との関係に見られる「大阪優先」の姿勢だ。橋下、松井両氏は7日、公明党の白浜一良副代表と会談し、次期衆院選で公明が議席奪還を目指す大阪と兵庫の6選挙区について維新が候補者を擁立しないことで合意した。その見返りは、大阪都構想の制度設計を行う法定協議会設置に公明の府・市議団が賛成することだ。会談から3日後、府議会、市議会の各会派代表者らでつくる大都市制度推進協議会は、維新、公明の賛成で法定協設置を議決した。公明党は既成政党の中でも共産党と並んで価値観が比較的はっきりしている。地方分権の推進や道州制実現では維新と一致するが、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には慎重だし、橋下氏が掲げた「河野官房長官談話」や集団的自衛権行使に関する政府見解の見直しには反対だろう。公明党関係者は、公明党が候補を擁立しない選挙区で維新と自民が対決した場合について「選挙区によって濃淡はあるが、今まで培ってきた自民党との協力関係を白紙に戻すことはない」との見方を示す。だとすれば、維新にとって今回の協力に国政上のメリットは少なく、大阪の事情を優先させただけといえる。一方で、政策的にほぼ一致しているみんなの党には冷淡だ。みんなの党は2年前の参院選比例代表で公明党を約30万票上回る第3党になったにもかかわらず、維新側は「(勢力が)広がっていない」と連携を拒否した。確かにみんなの党は渡辺喜美代表のワンマン政党の域を抜け出せず、第三極の存在感を発揮できずにいる。ただ、ワンマン政党なのは維新も同じ。本来、政策面で一致する勢力と選挙で戦い、共倒れになることは避けるべきだ。そうならないのは、みんなの党が大阪に足場を持たず、国政でも政局を左右できるだけの数を持たないという、政策や価値観以外の論理が働いている。■行政マンの腕は今ひとつ
大阪市営地下鉄の「売店」が閉鎖されて1カ月半が過ぎた。運営を交通局の外郭団体から民間に切り替えたが、公募で決定した業者の準備が間に合わなかったためで、見通しの甘さが指摘されている。大阪城の本丸売店も今年度末に閉鎖、二の丸地区に新たな売店・レストランを整備するが、1年間のブランクが生じる見込みだ。小中学校の学校選択制、内申書の絶対評価と学区撤廃を柱とした高校入試改革は、平成26年度から導入される方針は決まったが、細部はまだ詰まっていない。大所高所から新たな方向性を打ち出す政治家としての橋下氏の鮮やかさに比べ、着実に政策を現実に結びつけていく行政マンとしての腕のさえは今ひとつだ。知事として3年9カ月、市長として9カ月。キャリアの短さもあって「大阪が良くなった」という実感はなかなかわいてこない。いくらシステムや枠組みを変えても、それが有効に機能しなければ意味がない。ようやく緒についたばかりの大阪都構想をほうり出して国政を目指せば、批判は大きい。しかし、維新の国政進出を決意した時点で、多かれ少なかれ批判は覚悟していたはずだ。橋下氏は、自らの首相候補を持たずに次期衆院選を戦うことについて「僕らのグループの場合、誰が首相になってもやることは同じだ」と言い放った。ならば、橋下氏と価値観を共有する人物が大阪市長になってもやることは同じではないか。むしろ、行政の実務にたけた人物が、橋下氏がつくった枠組みに沿って市政を進めた方が有益かもしれない。2カ月前、橋下氏について「国政を考える時じゃない」と書いた。今でも維新の国政進出は早すぎると思う。しかし、日本維新の会設立が正式に決まった以上、橋下氏がすべての責任を負って陣頭に立つべきだ。
こういう書き方で橋下を、というより世論のケツをかいてるようなヤツの口車に乗ったらエライ事になる。
橋下を潰そうとしてるヤツがやろうとしてる常套句は、別に維新の改革を支持してるワケでもないくせに、「橋下は国政に出るべき」だ。
連中の狙いは、大阪で橋下が実績を残すより先に、出来もしない国政進出で馬脚を露わすこと。
今度の衆院選はラストチャンスではない。
大阪改革の成果が表われるであろう4、5年先でも十分維新の風は吹き続ける。
いや更に風力は増すだろう。
逆に大阪改革が失敗に終われば、観念して引き下がるしかない。
それだけのことだ。