ようやく、ツィッター始めたよ。みんな見てね。記憶の出し入れを速くするにはどうしたらいいか。簡単だ。同じ問題を徹底的に繰り返し、極限まで高速化させることだ。ただし、きれいに書かせることが条件だ。そうしないと脳の力で重要なイメージ力を損なってしまうからだ。明日知事との懇談がある。ここまで自力で問題を解決できてない教育委員会と強硬な知事。時代を理解しない教師。どうこの無力感を克服するか。知事の言う通り、教育委員会制度にはもともとあった問題に加え、制度疲労も加わり、本来の趣旨である独立性は閉鎖性に、安定性は停滞性に変化してしまっています。また、教職員の給与は国と府県が出しているのに、義務教育の先生は、市町村立の学校に勤務するなど責任の所在はあいまいです。だから、改革しなければいけないことは間違いないし、周囲の国の動きを考えれば、それはかなりのスピードを必要とします。また、知事は、この危機を理解している数少ないリーダーだと思います。しかし、だからこそ彼には失敗してほしくない。失敗すれば、その修正には莫大な時間がかかります。確かに教育委員会の思いを無視して、高給を貰いながら、自分の勝手な物差しで活動している教職員がいて、彼らに対して教育委員会が適切な指導がし切れていないのは事実です。申し訳ないです。しかし、現場をひとつずつ回り、立て直ししている教師たちがいるのも事実です。政策は制度を適切に運用する人間やリーダーがいてこそ生きます。私は、教育委員になって、先輩である管理職を壇上から怒鳴りつけながらも、現場を鼓舞してきました。数は少ないが、現場を回り、必死に立て直しに努力する教職員を見てきました。知事には、そんな彼らを勇気づける政策を出していただきたい。府庁を去られるなら、なお強く思います。大阪のこどもたちの生活改善のきっかけは、中学校の給食実施に向けての知事の決断だったと思います。いいことは誰でも思うし、口にもする。だが、金を用意し、実行に移したのは、橋下知事だけです。知事とともに中学校給食は、大阪の教育改革の一丁目一番地と話しあったことは忘れられません。教育委員会には常勤の委員がいます。教育長です。やってみて思うのは、常勤の教育委員が増えるより、教育委員と教育長の連携がうまくいくことの方が効果的ということです。現行制度が行き詰まるのは、教育長ときちんと連携し、指示できる教育委員を委嘱できてないからと思います。議論の前提として多くの人に知っておいてほしいのは、国から送られている教育予算は市や町によって別の使われ方をしていることが多く、そうならないよう、自治体に自覚を持ってもらおうというのが、教育振興計画なのです。つまり教育に口を出さないが金も出さないという自治体もあるのです。それに対して橋下市長は、金も出すけど口も出す。そう考えれば、今の条例は理解できるものです。私たちが教育委員になったとき、読売放送が山陽小野田市の子どもと大阪の子どもに朝食の内容を絵に描いてもらうというのをやった。その違いは極端だった。栄養的な観点からすれば、大阪の子どもの朝食は、言葉を失うほど不十分なものだった。全国学力テストの生活調査でもそれはうかがえる。しかし、これもそれなりに改善されつつある。全国で展開される早寝早起き朝ご飯運動もかなり効いている。中学給食の実施と連動する中で、生活改善は加速できると期待している。子どもを伸ばすのは教師の仕事。教師を伸ばすのは校長の仕事。そして、今の私の仕事は指導主事を伸ばすことと思ってきた。そうあることで実践は時の流れに流されない。価値あるものはそういうものだと思う。今一番嬉しいのは、その指導主事の言葉に力を感じるようになったこと。市長、個人批判はやめてください。前委員長も、事務局にはずいぶん厳しく指導されていました。以前、彼女の私邸で遅くまで語り合い、 奮闘する教委を日本一と評価したのは何だったのか。私は、前委員長を尊敬しています。前委員長がダメなら、私も同じです。私は、選挙の洗礼を受けてはいない。あなたの依頼を受け、あなたの子どもに笑顔をという公約に共鳴し、教育委員になった。あなたの評価のないところで、私が留まる理由はない。私は、あなたのじゃまはしたくない。いつでも去りますRT@t_ishin: 前府教委委員長も、このような保護者の感覚を汲んでの実務的制度改革はされなかった。ありがとうございます。私と橋下氏は現実主義という点では同じと思います。彼のいい点は失敗を恐れないこと。私のやり方は失敗しないこと。ここが違いと思います。 RT@ka_emiko: 陰山さんの教育に対する姿勢や熱意を大変感じるようになりました。@Kageyama_hideoこの仕事は自分に向かないと、早く辞めてしまう若者。もうこれは社会問題。学校はその認識があって指導できているのか。最近流行りのキャリア教育も、方向を誤ると逆効果になる。就職実績の高い高校の教師が言ってた。大切なのは挨拶など社会的儀礼を躾けることと、簡単に学校を休ませないことだと。いじめが深刻化する大きな要因は、加害の側の親がクレーマーである場合です。つまり、学校の指導がはねつけられる場合です。こうなると、お手上げになるのです。捜査権がありませんから。今後は、一定の基準を示して恐喝、暴行、など刑法に触れる場合は、警察に委ねるとした方がいいかもしれません。現行の教委制度は、戦前の教育体制を民主化するためのもので、昭和までは意味があったと思う。しかし、今の学校は不登校や学級崩壊など、以前にはなかったものが出てきた。だから市民によるコントロールでは指導は困難。専門家が中核にならないといけない。つまり常勤の教育長が中核であるべき。この教育長が教育行政を、強力に進めるには、財政の裏付けが必要。そのためには、首長との一体的な行政執行が必要であり、そのために教育長は首長の任命であっていい。そして教委は一般市民の声の代弁者として、拒否権を持つ諮問機関として動く。こう考えると橋下市長と近い考えとなる。そもそも教育再生会議で教育振興計画が出てきたのは、まさしくこの財政の裏付けを確保するためだった。 RT@t_ishin: この結論を理解して下さった実力ある教育の専門家は陰山委員長だけでしょう。皆教育の政治的中立性しか言いませんから。 RT@Kageyama_hideo:覚えてるよ。 RT@t_ishin: 僕は知事時代、現行制度の枠内でこの結論に挑戦しようとして、教育委員会会議に教委の許可の下、知事が出席できるよう規則改正を求めましたが、教委に政治的中立性を理由に拒否されました。覚えておられますか?@Kageyama_hideo:教育が政治の影響を受けないなんてありえません。どう折り合いをつけるかということでしょう。従来は政権交代がなく、また意外と自民党も自制的で政治と教育の関係は、比較的相互不干渉でした。しかし、その間に教育は教育だけで解決できない段階となり、財政と一体的に動くべき時代に入っています。教育委員会制度も、こうした時代を迎え、変更が必要になってきました。私は、中教審や教育再生会議でその議論の場にいましたが、改革は非常に難しく、議論では答えは出ませんでした。しかしこうやって現場に立つと、それは深刻であり、制度改革は喫緊の課題でしょう。優しさ一辺倒の教育って、人に頼る癖を子どもにつけてしまう。仲良くしましょうばかり子どもに言ってると、理不尽なことでも我慢するようになる。悔しいって思うことも大切だし、時には怒ることも大切だ。
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教育者・陰山英男のつぶやき
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