首相公選で日本は変わるのか?(第一回)
9月7日維新が過半数の議席をとった時には誰が総理になるのでしょうか?維新が描く日本の将来では、総理大臣は国民が自ら選びます。「消費税を上げません」と言うから投票した党が突然新総理に変わって、「命をかけて増税します」と言い出すような事態がなくなります。また、就任直後が瞬間最高支持率で後は下がる一方…というのが最近の内閣の傾向です。1年毎に総理がころころ変わる現状は特に外交面で悪影響を及ぼします。
普天間問題を迷走させ日米関係を悪化させた結果が、昨今の北方領土、竹島、尖閣の問題につながっているといってもいいでしょう。総理を辞任したところで何の解決にもなりません。やはり、国民が納得できる、日本のリーダーにふさわしい総理が必要です。首相公選の実現には高いハードルがあり、憲法改正が必要になります。
憲法改正を伴わずに疑似的な首相公選を行うには、
「選挙の時に各政党が総理候補を明示して戦う」
「選挙の際に、同時に国民投票を行う(※参考投票を尊重)」
などが考えられます。
鳩山氏は政権交代時の党首であり総理になることが明白でしたから、先の鳩山外交の迷走はある種有権者の責任でもあります。しかし、上記のやり方には限界があり、総理辞任→新総理選出となった際には国民のチェックが効かず、派閥の領袖の密室談合で突然総理が決まる…といった事態が起こります。首相公選の最大のメリットは、総理が議員を向いて仕事をするのではなく、国民を向いて政治が出来るようになることです。大阪で橋下代表が大胆な改革が出来るのも、大阪市民の民意のもと、市民を向いて仕事が出来ているからです。議員間の利害調整に追われていてはとても大きな仕事は出来ません。疑似的な手法では、二人目以降の総理は今まで通りで、首相公選の一番重要な目的が達成されないので、憲法改正を乗り越え何としても実現させたいところです。私が考えるもうひとつのメリットは、本当の意味での「国民主権」となることです。国民が直接総理を選ぶ「権利」をもつことにより、政治に対しての関心も高まるでしょう。今では「本物の総選挙よりAKB総選挙のほうがずっと詳しい」という若者も多いのではないでしょうか。政治への無関心の原因は、誰に投票しても結局同じ、というあきらめ感にあります。本当は次世代を担う若者にこそ選挙に行ってもらいたいと強く思います。政治に対して国民の皆様のチェックが必要です。
権利を持つということは同時に責任を負うということでもあるのです。国民自らが我が国のトップを決める権利と責任。
これが首相公選の本質ではないでしょうか。憲法改正は夢物語ではないのか?
9月8日日本国憲法の改正には衆議院・参議院双方で三分の二以上が必要という条件が非常に厳しい「硬性憲法」です。
憲法が改正できるように、ではなく、憲法が変更できないように、という視点で条文作成されています。ドイツは日本と同じ世界大戦の敗戦国ですが、戦後まもなく自主憲法を制定しています。民族的に近いお隣、韓国も憲法をたびたび改正しています。
歴史的事実や国民性を鑑みても、一度も憲法が改正されない国というのは珍しい部類です。法律はそもそも時代にあわせて制定されるものなので、古くなれば見直されるというのは至極当たり前なのです。石原都知事はGHQに押し付けられた占領憲法なのでそもそも無効だ、破棄すべき、と発言されています。保守政党の代表である自民党は「現行憲法の自主的改正」が立党宣言・綱領になっています。
そして昭和30年以降、今に至るまで一度も実現していません。最近ではマニフェストにも入っていませんね。憲法改正夢物語論は右派政党、保守政党による憲法改正が一度も実現していない事実を論拠としています。一方、過去の国会論議で、憲法改正が阻まれてきたのも、やはりイデオロギーによるものです。
阻む、という表現には語弊があり、視点を変えると「護憲」「憲法改悪を防ぐ」という価値観になります。右派VS左派の対決構図の場合、平和憲法の象徴である憲法9条が大きな論点となっています。価値観の問題ですから、当然正解はありません。また一方に染まるということもない問題なので、両院で三分の二という賛成票は事実上達成しえません。維新の会はこういったイデオロギー論争には加担していません。原則として価値中立です。「決定でき、責任を負う統治機構」・「決定でき、責任を負う民主主義」
すなわち首相公選や参議院改革を実現するためには、憲法改正は避けて通れません。あくまでも維新八策の一丁目一番地である「統治機構の作り直し」を実現するための憲法改正です。政治改革を目指す維新にとっての論点は「右派VS左派」といったイデオロギー論争ではなく、「硬性憲法か、軟性憲法か」という憲法改正要件の問題になります。現状は選挙時期の異なる二院制、しかも三分の二以上が必須という超硬性憲法です。この要件を両議院で過半数、さらに国民投票で過半数、という手順への改正を目指しています。超硬性憲法から硬性憲法への変更、これが維新の会の改革方針です。ちなみに、憲法9条については、方向性を国民投票にて決める、としています。繰り返しますが、維新の会は改革派政策集団ですので、イデオロギー的には価値中立です。
当ブログでは維新八策は維新の政治的価値観を示す羅針盤であり、期間や数値をいれた工程表ではない旨を繰り返し説明していますが、いまだに的外れの論評をする輩が後を絶ちません。当たり前の話ですが、次期衆議院選でどれだけ維新の会が大勝しても、参議院の議席はありません。
参議院選挙は半数毎の入れ替えですし、維新が単独で両院の三分の二を目指すとなるといつになるかわからず非現実的です。当然、他政党との連携も踏まえて、早期の憲法改正を目指す形になります。他政党の動向はわかりませんから、マニフェストに時期を明記できるはずもありません。自民党安倍グループとの連携が噂されるのも、早期の憲法改正(≒憲法改正要件の改正)を実現するためでしょう。政策が近いとされるみんなの党も憲法改正を要する「首相公選」はアジェンダにありません。憲法改正、確かに大きなハードルがあります。
しかし、最初のハードルを越えれば、すなわち改正要件の変更が出来れば、夢物語ではなくなります。維新の改革は「憲法改正は夢物語…」とあきらめる政治家をなくすことこそが目標なのです。新党は「日本維新の会」
大阪維新、国政進出8日に決定9月9日何より新しいのは、議員団の組織図。既存政党は国会議員の下に道府県議会議員、そのさらに下に市町村議会議員。
選挙の際の集票システムにもそのままつながるピラミッド型組織でした。国会議員が地方の下部組織と上下関係でつながることが、そのまま国から地方への利益誘導政治につながっています。維新の会は、既存政党と一線を画する「上下関係をつけない並列型」です。
本部の下に、国会議員団、府議会議員団、市議会議員団がそれぞれ対等の立場で組織されます。テレビのコメンテーターの意見を聞きますと、みな驚きを隠せない様子です。確かに組織図ひとつとっても革新的ですよね。
私個人は全く違和感がありません。むしろ「主権在民」を意識するなら国会議員よりも地域住民に近い道州議員、基礎自治体議員が尊重されるべきではないでしょうか。公募も始まっていない中で僭越ですが、国会議員で道州制実現→初代道州議員→地元首長となるのが私の「キャリアアップ」の理想形です。既存政党国会議員は「都落ち」という感覚ですから価値観が全く違いますね。教育問題、改革のセンターピンは一体何か?
9月12日本題の前に維新八策について頂いたコメントにお答えします。教育改革の理念にある「格差を世代間で固定化させないために~」が世帯間でなく「世代間」であることについてご質問を頂戴しました。例えば、塾に通えるかどうかなど、世帯の所得によって子どもへの教育に差がでることは否めません。
偏差値が全てではないですが、優秀な学校には所得の高い世帯の子どもが多いのも統計的事実です。
一言で言えば、金銭的なゆとりがあるからこそ教育熱心になれる、ということですね。問題意識は、良い高校に入れば、良い大学に行ける。良い大学に入れば、良い会社に行ける。良い会社に行けば、良い収入になる…という現実です。今の日本はもはや学歴社会ではないと思っていますが、それは学歴があるのは当たり前、その上で個人の能力や経験が問われる時代ということです。海外留学などはやはり資力が必要です。
高学歴の親が高収入になり、その子供も高学歴になって…という経済格差による学力格差が世代間で固定化している傾向があるのです。
そこで、「最高の教育を限りなく無償で提供する」という維新の改革方針が登場するのです。お分かりいただけましたでしょうか。もうひとつ、「障がい者教育の充実」について質問頂戴いたしました。
ここは教育分野において、私が専門テーマとしたい部分です。さらに政策研究を続けたいと思っています。
維新政治塾では講義テーマになりませんでしたので、日本維新の会の公式見解はお答えいたしかねます。大きな方向性としては、障がい者さんのように真の弱者(語弊があるのは承知していますが文脈上あえて用います)を守るために、そうでない方にはなるべく自立していただく社会保障制度にする、ということです。生活保護問題が顕著ですが、本当に必要な方への社会保障予算を確保するためにもしっかりとした見直しが必要です。維新の会は弱者切り捨てはいたしません。所得の再配分は政府固有の仕事ですから、セーフティネットはしっかりと構築していきます。
さて、本題です。メディアでは、無難なやりとりだった、などと評されていますが、教育問題については公開討論会の中で非常に刺激的な改革案が議論されていました。それは「学校の株式会社化」です。タイトルにしました「教育改革のセンターピン」になりうる、本当に大きな改革です。今後補助金見直しが進めば、場合によっては「国立大学」という概念そのものがなくなることになります。「学校の株式会社化」は党の綱領である維新八策には明記されておりません。
維新八策は日本維新の会の価値観・ビジョンですから、具体策が網羅されているわけではありません。討論会でその具体策に踏み込んだ形ですが、劇的な改革案だと思います。
マスコミが予定調和だったと報じてますが、私は合流議員が全員賛成したことに驚きました。
一億総評論家から、「教育を金儲けの場にする気か!」と反対意見が出ることも容易に予想されます。
そこも踏まえて、合流予定の議員に一人ずつ確認をとっていましたので、維新の会にとって消費税増税やTPPよりも先に確認したい「踏み絵」だったのでしょう。
まさに「聖域なき構造改革」になると思います。維新八策に明記されていませんので、まずはご紹介までにとどめたいと思います。しかるべき時に学校の株式会社化で何が変わるのかを詳しく解説したいと思います。教育現場に競争原理が持ち込まれるわけですから、切磋琢磨を通じて全体の質の向上が図られます。一方で、廃校になる事例も出てくるでしょう。「淘汰」を受け入れるかどうかの価値観が問われています。
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