アベノミクス×ケインズ
放任的市場感との決別読売新聞2月18日「三本の矢」といわれる安倍首相の経済政策のうちの一本は、積極的な財政政策である。日本経済を覆うこの十数年のデフレと、長期的な景気低迷からの脱却を狙ったもので、政府は日銀との政策協定も含め、大胆な財政・金融政策に乗り出した。これは、90年代以来の市場競争の強化と、「小さな政府」を目指す構造改革からの大きな転換を意味している。この政策転換は、あまり正面から議論の俎上にあがらないものの、実は、経済についての思考の転換を意味するものである。それは、新自由主義とも称される市場中心主義から、政府の積極的介入政策を不可欠とみなすケインズ主義への転換である。そして、このケインズ主義は、80年代以降の経済学のなかで批判され、非主流の立場へと追いやられていたものであった。「アベノミクス」は、確かにケインズ主義の復活という面をもっている。ジョン・メイナード・ケインズは20世紀を代表するイギリスの経済学者であるが、それだけではなく、両大戦期のイギリスの政治・文化・思想全般に大きな影響を与えた知識人であり、オピニオン・リーダーであった。ケインズというと、政府の積極的な財政政策によって30年代の世界的大不況を救った経済学者だとされている。36年に出版された『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、従来の自由放任的な市場観に立つ本質的な不安定を明るみに出し、それがたえず失業を生み停滞に陥る傾向をもつことを明らかにした。その上で、市場を安定させるための政府による積極的な財政・金融政策の必要、とりわけ政府による公共投資の必要を説いた。このケインズ政策が一方で戦後先進国の成長を可能とするとともに、他方では過度な財政支出と財政赤字を生み出し、それが逆に経済の足かせになっている、といわれる。しかし、ケインズが政府による積極的な公共投資を訴えたのは、必ずしも30年代の大不況を前にしてのことではない。20年代半ばに、彼は自由競争的市場主義を捨てて、政府による積極政策を唱えるようになる。もともと、国際金融や貨幣論の専門家であり、しかもイギリス大蔵省の顧問でもあったケインズは、第1次大戦後の金本位体制への復帰によって、いわばグローバル経済へ回帰したイギリス経済の停滞の原因を、まさにその金融グローバル化のなかに見出した。大戦で生産システムが弱体化し、国内に投資機会のないイギリスが、過大に評価されたポンドのもとでグローバル化に参入すれば、イギリス国内の資本は国外に流出する。それがイギリス経済の長期的な停滞をもたらす原因だと彼はみなした。では、どうすればよいか。国内で投資機会を失った資本を政府が管理し、イギリスの将来のために今こそ国内で公共投資をすべし、というのである。したがって、ケインズの財政政策、公共投資の重視は、決して30年代の大不況の経験によって生み出されたものではない。もともとは、金融グローバリズムのなかで長期停滞に陥ったイギリス国内の経済再建のための方策であった。また、ケインズは、20年代には、デフレやインフレという貨幣価値の変動に大きな危惧をもっていた。特にデフレが経済に与える影響は深刻であり、公共事業による内需拡大は、デフレ克服、貨幣価値の安定という意味ももっていたのである。政府がマクロ経済を安定させて初めて、民間投資が活性化するのである。アベノミクスは成功するか
産経新聞2013.1.21
アベノミクスの柱は大胆な財政出動、インフレターゲットを含む超金融緩和、そして成長戦略である。これは従来の、緊縮財政、行政改革、規制緩和、市場競争強化などの「構造改革路線」からの決別といってよい。そして、まさにその「構造改革」をずっと支持してきたはずの市場は、今回アベノミクスを歓迎している。安倍首相の登場によってムードが変わったのである。構造改革とは、既得権益をかこち、非能率で無駄な制度や集団がある、これを排除し無駄を絞り取らねばならないという、いわば「否定の政治」であった。しかし、アベノミクスは、既存の集団への批判や攻撃によってエネルギーを引き出すのではなく、脱デフレに向けた政府の全面的な積極政策によって景気を回復させるという。これは基本的に十数年におよぶ「改革」一辺倒であったわが国の経済政策の大転換である。そのことが現状ではムードを変えたのだ。だがまた、同時に危惧の念が生じるのは、市場の心理などというものはいかにも気まぐれなものであって、つい先日までは「改革路線」一辺倒であったものが、今日はアベノミクスに喝采を送っているように、ほんのささいな動揺で、いつまた安倍政権を見はなすかもしれない。市場はともかく景気がよくなりさえすればそれでよいのである。短期的にいえば、デフレ脱却、雇用促進、景気回復のために、大規模な財政・金融政策を活用するというアベノミクスは正当なものである。やたらインフレターゲットが強調されるが、基本は財政出動にあり、財政資金調達のための国債を市中から日銀が買い取ることで貨幣量を増加させるということだ。デフレ経済とは最終的に需要不足によって生じている限り、需要を増加しないとデフレ脱却は不可能だからである。そして、民間投資が活性化しない現状でいえば、需要は公共部門によって作り出されるほかない。というわけで、アベノミクスは現状ではきわめて現実的であろう。しかし、今日の日本経済の混迷は、それほど容易に克服できるものではない。そもそものデフレ経済をもたらした背景には、グローバル化のなかでの新興国との激しいコスト競争がある。新興国の低賃金労働との競争によって、日本国内における賃金も下がるほかないのである。また、グローバルな金融市場の異常な発展によって、資本があまりに不安定に金融市場を飛び回る。それが時にはバブルを引きおこし、続いてバブルを崩壊させる。それがまた、国内経済を動揺させる。さらにいえば、日本の場合、いわゆる少子高齢化、人口減少社会へと突入し、それは将来の市場を縮小するものと予測される。それが民間投資を萎縮させるひとつの要因となっている。仮に短期的には景気回復は可能だとしても、長期的にいえば、これらの不安材料はつねにわれわれの頭の上にぶら下がった剣のようにいつ落下するともかぎらない。では、この長期的な不安材料を払拭することはできるのであろうか。そのためには、大きな思考の転換が要求される。なぜなら、問題の本質は、グローバルな過度な競争にこそあり、このグローバル市場競争モデルから距離をおかなければならないからである。そしてそれは、一種の長期的な公共計画のもとに、できるだけ国内で資金が流動するような構造を作り出すという方向へかじを取るということであろう。いずれにせよ日本は、今後10年、20年で大きく社会構造を変えてゆかざるを得ないのであって、そのための新たな社会基盤の整備が必要となる。そこには、防災も含まれるし、地域の再生もあり、教育や医療、介護の充実もある。それらを総合した公共計画を政府が推進するほかないであろう。そしてそれは、国内にある資金を国内で循環させ、結果として内需を活性化することになるであろう。しかし本当の問題は長期的な展望にあって、今ここでの公共投資も長期的な見通しと連動しつつなされるのが本筋なのである。米国発の「市場主義経済学」では、いまの危機は解決できない!
『経済学の犯罪』著者・佐伯啓思インタビュー
現代新書カフェ 2012年8月17日市場主義経済学とは、人を合理的な存在と見て、自由な市場競争さえ行えば成長は無限に可能だとする考え方です。それがいつの間にか唯一の「正しい」経済学になってしまった。もともと私が大学で経済学を学んでいた1970年代は、多様な経済学がそれぞれの思想的背景をもって論戦を繰り広げていた。マルクスもそうだし、ケインズもそうだし…ところがその後、1970年代のアメリカ経済の行き詰まりの中で、それまで政策に反映されていたケインズ派が批判されて、最終的にシカゴ学派の市場主義経済学が勝利を収めた。やがて他の経済学が消え、いつの間にか市場主義経済学が「科学」とみなされ、「教科書」の経済学になっていき、世界中にその考えが広まっていった。経済学は自然科学などと違い、価値判断が入ってくる学問。市場主義経済学はあくまでアメリカ社会の価値が入っている経済学なんです。アメリカ的な能力主義や効率主義が当然のことになっている。本来は、私たちは最初に価値の選択をすることが大事なのであって、それが効率なのか、余裕のある生活なのか、文化的なものなのか、こうした価値を選択することが大事で、そこからどのような経済学を選択するかが決まってくるんです。いまの市場主義経済学は、アメリカ型の自由市場で競争をして効率性が第一だという価値を選択しているだけ。ここ近年の日本の状況を見ていると、どう考えても需要が供給に比べて少ない。そこが問題です。だからいまはむしろケインズ的な考えで短期的には需要を増やすことを考え、長期的には需要が大きくは増えないなかでどのように社会設計をしていくかを考える必要がある。リーマン・ショックにせよ、EU危機にせよ、これだけの危機が起こり、なかなか解決への糸口が見えてこないこと自体、近年経済政策として採用されてきた市場主義経済学がうまく機能していないということを示しています。ですから、私たちはこれに代わる経済学を考えていかなくてはいけない。グローバリゼーションの時代になると、むしろ国家の役割が重要になる。たとえばアメリカは、金融市場を自由化し、ドルの力を利用して資本の移動をさらに活発化させることで、新たな金融型成長モデルをつくりました。そこで使われたのが「グローバリズム」というイデオロギーであり、市場主義経済学でした。アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、いまの金融危機のために、そのモデルが壊れつつあるのですが、少なくともここ20年近いグローバリゼーションの時代で各国が自分たちの強みを生かした戦略をそれぞれ持って闘っていました。これに対してこの間、日本がやってきたことを一言で言うと、「構造改革」となる。景気が悪くなると、まずはケインズ型政策で需要を下支えして自律回復を待てばいいのに、そこでやろうとしたことは、構造自体を変えようとした。もちろん従来の日本型経営にはムダもずいぶんあったし、公共事業にしてもかなり制度疲労が始まっていて、このままでは立ちゆかない面があったことも事実です。だからといってそれらすべてを変えていって、いったい何が残ったのか。日本の強みは、日本型経営などで言われていたこと、やはり人間同士の信頼関係、組織力でしょう。そういう意味では、成果的な基準に合わないような金銭で評価できないこともいっぱいあります。しかしある種のいい加減さがあってこそ、全体としてうまくいっていたということもある。もちろん従来はムダが多すぎたといったような問題はありますが…いまわれわれが考えるべき一番大事なことは、経済的な次元の問題で効率をどうするかとか、成長をどうするかという問題ではなく、どんな社会をつくっていくかをまず考えることです。これからの日本は、どちらかというと効率性を追求する社会ではなく、公平性、快適性を追求する社会、海外にマーケットを求めるより、国内で循環する社会を構想すべきと考えます。公共投資もしなければいけない。正直ムダも多いでしょう。ですが将来のため、10年後20年後を見据えた意味のあるムダをつくっていくことができるか、どうかです。いままでは、どんな社会にしたいのかというイメージがなかった。これからは「何のために」ということが見える公共事業が大事になります。
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佐伯啓思(京大教授)/アベノミクスの楼閣
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