三浦一美銃撃事件は、初動捜査は中央分署が担当し、エイジャン・タスクフォース、すなわちアジア特捜隊の刑事4名が協力していた。アジア特捜隊というのは、ロスアンジェルスで急増するアジア系住民の犯罪を専門に捜査するために、アジア系の刑事で編成された特別機動捜査隊のことである。現在は解散したが、日本語が解る刑事の集まりだった。羽山はこのエイジャン・タスクフォースのミッチー加藤刑事に会い、話を聞こうとした。しかし彼は、三浦ケースについては語りたいことは山ほどあるが、現在捜査中の事件なので、残念ながら私の口からはお話しできないと言った。裁判が陪審制度のアメリカでは、捜査官が捜査の途中段階であまりマスコミに情報を洩らすと、陪審員に予断を与えることになって、判決は往々にして軽くなる方に動く。このため刑事の口はたいてい固い。羽山はそれでアジア特捜隊の隊長、ジミー佐古田警部に会った。彼は、あのパームトゥリーはLAでも最もみすぼらしいものだと言った。そして背景の高層ビル群は、当時クレーンが出ていて、コマーシャル写真の撮影に向いてはいなかったと語った。三浦の証言が安定しないという点についても彼は同意し、それは事実だと言い、それで自分たちは81年の12月16日、帰国前日の彼を嘘発見機にかけようとした。最初は彼も同意して、おとなしく重要犯罪課刑事班の椅子にすわっていた。ところがオペレーターがハリウッド・フリーウェイの渋滞でもたつき、待たされている間に彼はナーバスになった。椅子から跳び上がるように立ちあがり、「私はれっきとした日本人であり、これまで嘘をついたことは一度もない、嘘発見機にかけられる筋合いはない、お断りします!」と大声で叫んで帰ったんだと言った。嘘発見機という噂はこれまで聞いたことがあり、まさかと思っていたが、これは事実だった。嘘発見機にかけられるということは、あなた方も三浦に対して疑惑を抱いているということかと羽山が訊くと、佐古田は深く頷き、「そう受け取ってもらってよい」と言いきった。アメリカ取材のもう一つの大きな収穫に、銃撃現場に一番に駈けつけたスティーブ・シャーマン・ソルターという人物の証言を取れたことがある。ソルターはトラック運転手で、事件時、現場から東北約20㍍にあるスペルマンという絨毯工場にいた。以下は彼の話である。「倉庫で仕事をしていたら、叫び声が聞こえたので、倉庫側の扉(フリーモント・アベニューに面している)を開けると、男が車の横に立って『ポリス、ポリス!』と大声で叫んでいた。すぐに電話を取って警察を呼び、『何か事故が起きたらしい』と告げると、ポリスに『どんな事故か』と訊かれ、『様子を見てきてほしい』と言われたので、電話を置いて現場を見にいった。男は『ポリス、ポリス、マイ・ワイフ、マイ・ワイフ!』としきりに叫んでいた。女性はフリーウェイの土手の方に頭を向け、鼻からも口からも血を流していた。私はすぐに倉庫に戻り、『事故の内容は解らないが救急車が必要だ』と言って電話を切り、また現場に戻ろうとしたら、同僚のロイ・ジョーンズもついてきた。救急車は2、3分で来た。その間にジョーンズが車のエンジンを切ったんだ。そう、車のエンジンンはかけっぱなしだった。救急車が来た時、私やロイが驚いたのは、男が車の助手席に座っていたことだ。女は瀕死の状態なのに、男は助手席に座ってるんだよ。この時はじめて、男の足から血が出ているのを見た。ズボンに血が染みてたからね。だけど、男は歩けなかったわけじゃない。私が倉庫から最初に出てきた時、あの男は車の横でドアに片手をかけ、立って叫んでいた。ロイの話では、車の周りを歩いてもいたんだよ。クラクション?そんなもの鳴ってはいなかったよ」ひどい現場を見たせいでソルターも、三浦に軽い憤りと、疑惑を持ったようだった。何故三浦は、血を流して苦しむ妻のそばにいてやらなかったのか。ソルターはこうも言う。「私が撃ったのなら、金はすべて持っていく。ところが現場には、女性のそばに紙幣が散らばっていたんだ。かなりの金額だった。それにカメラも道路に転がっていた。ちょっと理解できないね。私が犯人なら、まず男の方から撃つ。顔を見られたのなら、必ず男も撃ち殺す」三浦への疑惑はこうして次々に裏打ちされていく。疑惑を抱くのは、決して日本人だけではないのだ。アメリカ人のこの証言は大きい。羽山は次にダウンタウンに行って、リトル東京周辺の日系人の話もたっぷり聞き込んだ。ここでもまた、三浦に対する悪口、疑惑の類をふんだんに集めることができた。彼らのその様子は三浦を早く逮捕せよと言わんばかりで、この雰囲気なら、たとえ自分たちが書かなくても、いずれどこかのメディアが、これら三浦疑惑を代弁するであろうと羽山は確信された。かすかな焦りさえ感じ、彼はますます精力的になった。・・・収穫は、羽山の期待の3倍もあった。特に大きかったものが、浪花寿司の福山隆への殺人依頼と、三浦ご愛用のもう一軒の寿司屋、山鮨お主人の山戸部進の話である。とくに後者だ。彼から、昭和56年8月のニューオータニの事件に、「ハンマー」という具体的な凶器が存在していたらしいとの確たる証言が取れたのだった。捜査への実効性ということを考えれば、これこそがロスアンジェルスで羽山の掘り当てた、真の金鉱といえる。これに出発直前大阪で聞いた大久保の話をつなげれば、銃撃事件に先立つこと三か月、8月に起きたホテル・ニューオータニでの銃撃事件の全貌が浮かびあがる。そしてこれは、殺人依頼の雑談のような漠然としたネタと違い、実行行為を伴うから、三浦を追い詰める実弾ともなり得る種類のものだった。山鮨の主人、山戸部の話は、以下のようなものである。「私ども、三浦さんとはもう5年ほど前からのおつき合いです。あの人LAに2、3日もいるときは、必ず寿司をつまみに来てくれました。連れてくるの女の人はいつも違っていて、もうとても数え切れないです。その中でワイフと言って紹介された人は二人、一人は元モデルさんで、口数の少ない人でした。(これは成瀬恵子と思われる―― )もう一人が撃たれた一美さんです。一美さんがうちに見えたのは2回だけ。一回目は新婚旅行の時で、三浦さんと母親の三人でいらっしゃいました。二回目は一昨年(昭和56年)の7月か8月です。夜の、しかしそんなに遅くない時間に二人で来て、最初三浦さんは一美さんの頭の怪我は風呂で転んだんだと言っていたんです。でも三浦さんが便所に立った時に一美さんが『ねえねえ見て』と言って、自分の頭の後ろを私に示すんです。どうしたんだろうと思って見ると、『5針も縫った。今日殴られちゃった』というんです。こっちが根掘り葉掘り訊いたわけじゃないですよ。奥さんの方から、自発的に喋りだしたんです。わけを訊くと、泊っていたニューオータニの部屋で、洋服の仮縫いをしてもらっていたところ、その仮縫いの女が、奥さんが後ろ向きになった瞬間に殴りかかってきたっていうんです。ラテン系が、メキシコ系の女性だったそうです。殴られた奥さんは、必死でその女と格闘した。相手の女はかなり力が強かったそうですが、奥さんも体が大きいから、何とか取り押さえたそうです。女を捕まえてハンマーを取りあげると、その女はポカーンとして三浦の名前を言う。それで奥さんは、一回のコーヒー・ラウンジでコーヒーを飲んでいた三浦さんを電話で呼び出した。三浦さんが部屋に戻ってくると、その女は三浦さんが洋服の買い付けに行った先の縫い子の女だということが解ったのですが、三浦さんは何故か警察には届けなかった。そのまま逃がしてやったというんです。だから私は訊きました。せっかく犯人を捕まえたのに、どうして警察に報せなかったのかって。そしたら便所から戻ってきた三浦さんは、怪我も大したことないし、面倒臭いからって応えてましたね。隣で一美さんは笑っていたけど、なんか不審そうな照れ笑いでした。頭ですから、一歩間違えると、一美さんはその女に殺されていたかも知れないワケでしょう。それを捕まえておいて逃がすなんてね、常識では考えられないです。それで私もはっと思ったんですが、三浦さんは女性関係が多かったから、その女は、奥さんの一美さんを怨んでやったのではないかって。三浦さんとその女が顔見知りだったことも、それで説明がつきますしね。うちには日本人の女性しか連れてこなかったけど、三浦さん、日本人以外の女性にも手を広げたのかなと思ったんですよ。それから何か月か後に奥さんが撃たれた時は、ああまた頭をやられたんだ、よくよく頭に災いがある人だなと、女房と話してたんですよ」三浦夫婦は8月の襲撃事件のまさにその夜、この山鮨のやってきていたのだった。羽山は興奮する。この話は、大阪で聞いた大久保の話とも矛盾しない。事件後、日系人の医師の車で三浦夫妻は病院に行ったと言っていた。そして治療を終えた夜、二人はこの店に寿司を食べに来たのだ。その時、興奮していた一美は、自分の受けた狼藉を、思わずこの店の主人に話た。誰かに話さないではいられなかったのだろう。それほど彼女のショックは大きかったのだ。バスルームで滑って転んだくらいで頭を5針も縫うとは、どう考えてもおかしいと思っていた。大久保もそう言っていた。これが真実だ。羽山はそう直感する。この時も一美は殺されかかったのだ。この大事件が、三浦の意思と無関係だというのか?誰がそんなたわごとを信じるだろう!(島田荘司/三浦和義事件)
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ロス疑惑17/証言
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