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竜馬がゆく/英雄の風貌Ⅱ

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「甲子夜話」というそのころよく読まれてた随筆本(平戸藩主松浦静山の著)に、戦国のむかし、加藤清正がその子に自分の初陣のときの気持ちを語った話しが出ている。
清正はいう。
―― おれがはじめて秀吉公に従って賤ヶ岳で一番槍をしたときのことだ。
坂を駆けのぼると、上に敵がいた。
それと夢中で槍あわせしたが、胸中はどうかというに、闇夜であがくように何が何であるか一向にわからなんだ。もはやこれまでと思い、目をつぶり、念仏を唱え、その闇の中にとびこんで槍を入れたるに、何か手ごたえしたると覚えしが、それが敵を突きとめたることであった。あとできくとそれが一番槍だったというのだが、自分でもよくわからなんだ。これよりのち、場数をふむにつれて、だんだんおれの眼にも敵味方の顔が見えるようになってきた。
(清正はえらい)
と、竜馬は考えている。
清正はどの大器量の者でも、初陣ではこうだったのだ。
むしろ大器量であればあるほど、初陣のときの惑乱ははげしいかとおもわれる。
小勇小才の者は、物事の〝たか〟をくくり、要領よく立ちまわって案外動じないかもしれない。
それとこれは別かもしれないが、土佐には、こういう言葉もある。
―― はじめて女に接するとき、丈夫ほどいごつ気のみだれるもんじゃ、ばぶれもん(女蕩し)は、ゆとりがあるゆえ落ちついちょる。
 
 
 
・・・・・・
 
 
 
桂は、たしかに強かった。
いよいよ江戸の剣客のあいだで定評になった。
藩主毛利候も自藩からこれほどの俊英を出したことが自慢で、わざわざ桂の師匠斎藤弥九郎を江戸屋敷によび、公式に礼をいったほどであった。
そのほか、大村藩主大村丹後守純煕、壬生藩主鳥居丹波守忠拳なども、桂の剣技をみるためにかれを江戸藩邸によんで馳走している。
その桂小五郎と、この年の初冬、竜馬は、アサリ河岸の桃井春蔵道場で公式試合をするはめになってしまった。
.…
ある日、桶町の道場に武市がやってきて、千葉重太郎と面談したあと、竜馬をよんで、
「竜馬、出ろ。大試合だ」
といった。
「また、試合か」
あんな男だ、という顔を武市はした。
この竜馬ときたら、いつみても物憂そうで、やあ、と気負い立つことろがない(もっとも物臭は竜馬の唯一のお化粧で、この男らしい一種の照れかくしなのかもしれない、と武市は見ていた)。
「この試合は」
と武市のものの言いかたは、あいかわらず荘重である。
「お前(まん)の剣名を江戸中にあげるかあげぬかの瀬戸際になる」
「くすくす」
「なんじゃァ、それァ」
「笑うちょる」
と竜馬がいった。
武市はむっとして、
「なぜお前は笑わにゃならんぞ」
「剣名とか、瀬戸際、などちゅうような法螺吹きことばは、モトの武市半平太ちゅうような真面目くさった人物に似つかわしゅうないことばじゃ。うわさに聞けば、あんたは近頃有名になっちょるげな」
「なにが有名じゃ」
「いや、うわさじゃ、武市さんはだいぶ、諸藩の慷慨家(世を憂えて痛論する士)とつき合うちょるげな」
「つき合うちょうる」
「そいつら燕趙悲歌の士どもの口調が伝染って、えろう、激した言葉をつかうようになった、と感心しちょる」
「竜馬」
武市は真赤になった。
「お前は、尊皇攘夷を笑うか」
「笑わん。わしも尊王攘夷じゃ。もっとも学がのうて、お前のような高慢は張れんが」
「高慢とは何ぞ、高慢とは」
「言いなおす。論じゃ。論はろくにしゃべれんが」
「よし、わかった」
武市は、試合の話どころではない。
「されば、いまなぜ笑った」
「こらァ、癖じゃ、ゆるしてたもれ。お前の真面目な顔を拝見しちょると、つい、からかいたくなった」
「よし、ゆるす」
あっさり、武市はいった。
武市は、男にしてはめずらしく澄んだ美しい眼をもっている。
「ところで、試合の一件だが」
「ああ」
「これは、勝ち抜きになる」
その点、先般の試合とはちがう。土佐藩邸での試合は、流儀ごとに代表を出して一組ずつ他流試合をさせたわけだが、こんどは流儀を考えず、勝ち抜きの勝者を決めるというのだ。
「自然、こんどは流儀の名誉というよりも、藩の名誉ということになる」
「長州の桂は出るか」
「むろん桂くんも出る」
「それァ、やらんでもわかっちょる。桂の勝ちじゃ」
「なんちゅうお人じゃ、お前はァ」
と武市は思わず大声を出してしまった。
武市はもともと沈毅冷静で通った男だし、教養のふかさは若手藩士のなかで抜群といわれた男だが、どうしても竜馬と話していると、その沈毅冷静がうしなわれて、語調まで妙なトーンになってしまう。
「武市さん、でかい声じゃのう」
竜馬は感心している。
「声も大きくなるぞ。竜馬、考えてみなされ、武士たるものが戦う前から、敵が勝つにきまっちょる、というのは失言であるぞ」
「なぜじゃ。桂小五郎の剣名は、つとに江戸中にしれわたっちょる。先般の試合のごときは、藩公でさえホトホト桂の妙技に感心なされ、 ――桂ちゅう男はイナゴのようじゃのう、といわれたそうじゃ。桂のように神機明敏な太刀わざにかかれば、不肖坂本竜馬がごときは据え物のように斬らるる。武市さん、わしゃ土佐藩を代表しては出んぞ」
「汝(おんし)」
武市は言葉を荒らげ、
「武士が敵をみて弱音を吐くか」
「吐くわい」
「されば、おンしゃ、武士ではないのか」
「武士々々とがみがみいわンすな。耳が鳴るわい」
「されば、おンしァ、何じゃい」
「坂本竜馬じゃ」
ケロリとしている。
これが竜馬の一生を通じての思想だった。
武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り物で正真正銘なのは人間いっぴきの坂本竜馬だけである、と竜馬は思っている。
「わしァ、無理はきらいじゃ。ゴマメの歯ぎしりのように力もないくせに肩をいからして武士じゃ武士じゃと喚(おら)ぶのは性に合わん」
と竜馬はいった。
「武士はゴマメか」
「武士はええところもあるが、なにせ、細(こま)い。眼だけ光らしてゴマメが歯ぎしりしちょるに似ちょる。しかしおなじ武士でも戦国の大将どもはえらい。信玄でも信長でも秀吉でも家康でも、負けるとしった戦さをやったのは、若い頃、開運の大博奕を打ったとき、一度か二度ぐらいのものじゃ。あとは、かならず勝つと踏んでから戦さをおこした。英雄とはこういう男のことをいうんじゃと思うな」
「とにかく、竜馬、出ろ」
「しかし武市さん」
竜馬は、ペロリと舌を出して鼻の下をなめた。
じつをいえばここが竜馬の聞きたいところだった。
「お前が、なぜ出なさらん」
「訊くな」
「ははあ?」
「竜馬、男ならそれを訊くな。わしがこれほどお前に頼んでいる。なにも訊かずに、わしに頼まれた、というだけで立て」
「……」
竜馬は考えた。
心をひるがえした。
出ようとおもったのである。
武市は、土佐藩の若い下級武士から神のごとく慕われている。
事実、剣といい、器量といい、学問といい、武市ほどの人物は西国諸藩のなかでもいないかもしれない。
もし一朝有事に武市が号令すれば、土佐の草木はふるい立ち、たちどころにその影響下の若い藩士は群れをなしてあつまるだろう。
そういう男だ、と竜馬は見ていた。
ここでその武市がむざむざ負ければ、若いものが失望するではないか。
「よし、桂と、やる」
竜馬は、ひと言だけいった。

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