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橋下市長のつぶやき/憲法制定権は、為政者、政治家にあるのではない。国民にある。

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@t_ishin
 
 
 
風知草: 最近「96条」攻防録=山田孝男
毎日新聞 2013年05月13日 
ニュートンいわく、力を加えれば、それと同じ強さの反作用が生ずる。
 
安倍晋三首相(58)が憲法96条の先行改正へ深く斬り込んだ結果、反論が強く噴き出した。
安倍人気に乗って一気に進むかと見えた96条改正の流れにブレーキがかかった。
これが連休明けの憲法情勢である。
 
96条とは何か。
日本国憲法の改正手続きだ。
衆参両院で、総議員の3分の2以上の賛成がなければ発議できない。
さらに国民投票にかけ、過半数の賛成がなければ改正できない。
こんなにガチガチでは永遠に改正できぬ、両院の過半数へ発議のハードルを下げよ―― 就任以来、首相は事あるごとにそう訴えてきたそれに対する「反作用」が噴出した一つの節目は4月9日だった。
 
この日、毎日新聞東京版夕刊「特集ワイド」に憲法学者の小林節・慶大法学部教授(64)が登場、
「私は9条改憲論者だが、改正ルール緩和(96条改正)は邪道。立憲主義否定は認められぬ」と批判した。
 
この記事の反響は大きかった。
例年、憲法問題でマスコミの取材に応じてきた小林だが、この記事を境にテレビ・新聞が殺到、「今年は異常な存在感になっちゃった」(小林)。
 
たちまち反応した読者の一人に自民党の石破茂幹事長(56)がいた。
東京・赤坂の議員宿舎で毎日新聞を購読している石破は4月9日午後11時ごろ、帰宅後の習慣で夕刊を広げ、この記事に目を奪われた。
 
「小林教授に啓発されるところ誠に大」とブログに書き込む一方、国会図書館から96条関連の文献をあるだけ取り寄せた。
大学(慶大法)時代に使った清宮四郎の憲法教科書を引っ張り出して読み直した。
 
清宮四郎(1898〜1989)は戦後憲法学界の大御所で、憲法改正理論に関する著作が多い。
その清宮の孫弟子にあたる石川健治・東大法学部教授(51)が5月3日の朝日新聞朝刊で96条改憲を批判した。
いわく―― 。
 
「過半数ではなく、3分の2以上を議決の要件とする憲法の規定は改憲発議だけに限らない。国会議員の資格争い、除名、会議の非公開、再議決もそうだ。ただし、他は『出席議員の3分の2以上』であるのに対し、改憲発議だけは『総議員の3分の2以上』で最もハードルが高い」
 
「他は放置したまま、最も重みのある改憲発議だけを過半数にしてしまえという提案はチグハグではないか。そもそも改正条項の改正は、憲法に拠(よ)って立つ立憲国家への反逆だが、その自覚があるか……」
 
これを読んだ96条改憲論者の橋下徹大阪市長がツイッターで「小難しい」「論理が破綻」と批判した。
橋下は大阪府立北野高校で石川の後輩に当たる。
確かに難しいが、論理は緻密で破綻もない。
改憲論者には面白くないとしても。
 
石川の寄稿は最近の朝日のオピニオン欄で最も反響のあった記事の一つだそうだ。
狙いは「良心的な議会政治家に問いかける」ところにあり、「乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に出たつもり」だったと石川は私に語った。
 
憲法論戦は例年よりは盛り上がり、またしぼみつつある。
アベノミクスに合わせ、経済優先、一国平和主義の「戦後」に戻ればエエじゃないかと思い始めた世間の気分も背景にある。
それでいいか、悪いか。
 
要するに国の将来像が定まらない。
私自身、護憲とも改憲とも決めかねている一人だが、中身の合意を棚上げして手続きだけ緩めれば、不毛の混乱を招くという確信はある。
 
 
 
 
 
13日毎日新聞3面「風知草」憲法96条改正について。
5月3日の朝日新聞朝刊オピニオンの石川さんの寄稿について僕が批判したことについて(これは既にツイートしています)、山田孝男さんが再批判。
そこで山田さんへ。
まず石川さんは間接民主制が原則だから国民に決めさせるのは違うとの論。
 
僕も同論。
これだけの規模の国なら、議員による討論で決める間接民主制が原則。
しかし憲法改正は、憲法制定権から派生する国民主権そのものであることから、日本国憲法はあえて国民投票に付すことにした。
この意は、国民投票を重視せよとの意と解すべき。
 
毎日新聞は同じく13日社説「視点」で住民投票を重視せよと言う。
逆逆。
普段は、間接民主制で議員による討論で決める。
そしてこれと言うもののみ直接投票。
僕も、住民投票を全て否定するわけではない。
大阪都構想も最後は住民投票。
しかしこのような住民投票は例外的。
 
しかし例外として定められたなら、それを重視すると言うのが例外の意。
ゆえに憲法改正においては例外的に国民投票に付すことになっている。
だから国民投票を重視すべき。
そこを石川さんは、一般論として間接民主制が原則だとしか言っていない。
憲法改正の国民投票は例外だ。
 
石川さんは憲法上の国会3分の2の要件条項を挙げて、憲法改正だけ3分の2を過半数にするのはおかしいと指摘。
しかし、他の条項には国民投票がない。
だから3分の2が必要なのかもわからない。
僕は衆議院の再議決(59条)は過半数でも良いと思っている。
それは別として、憲法改正には国民投票が必要。
 
国会議員の資格争い、除名、会議の非公開、再議決には3分の2が必要だが、憲法改正には国民投票があるので、国会では過半数で良いと言うのは十分論理として成り立つし、むしろ国民投票を重視する視点からはその方が望ましい。
そしてフランスなどでは、国会の特別多数と国民投票は同等に扱われる。
 
つまり国民投票で過半数を得ると言うのは至難の業で、これは国会議員での特別多数をとるよりも難しい。
それを13日の毎日夕刊2面で実証している。
この記事は国会議員の議決だけに絞って批判を展開。
国会で過半数の議席を得ても、わずか28.92%の得票率でしょ!
民意を反映していないでしょ!と。
 
そうなんですよ。
国会議員の過半数で発議しても、国民投票で過半数を得ると言うのは至難の業。
前回の衆議院総選挙でも自民党の比例得票率は35、28%。
そして特定課題を国民に提示すれば、そうは簡単にYESは投じてくれない。
議員を選ぶのは、日ごろの付き合いとか、他に選択肢がないとか色々ある。
 
しかし憲法改正案については、議員を選ぶのとは異なる。
特定の案についてのYES,NOだ。
自民党に入れた人でもNOと言う人も多いだろう。
つまり、国会議員で過半数を得たとしても、国民投票ではなかなか過半数にはいかない。
だから、フランスなどは国民投票を国会議員の特別多数と同視する。
大統領制などで、国民全体で投票を行うことを経験している国は、国民投票の重みをよく分かっている。ところが日本は、国民投票をやったことがないから、簡単に過半数を得られると勘違いしている。毎日新聞は自ら実証しているじゃないか。国会議員で過半数を得たとしても、わずか得票率は28、92%と。
 
国会での過半数によって発議しても、国民投票の過半数はなかなか得られません。
そして発議乱発の恐れはありません。
国会議員もわが身が大切。そんな発議をもてあそぶような政党は、選挙で退場を命ぜられます。
知識人と言う人はとことん選挙、国民を信じない。
 
何べんも否決されるような改正案を政党は何度も出しませんよ。
それくらい政党は民意に敏感なんです。
委員会を欠席するかどうかですら、民意を気にしているのですから。
ということで石川さんは、国民投票がある96条と、その他の3分の2条項を同列に扱っているのは間違い。
 
そして理屈。改正権は憲法96条に依拠しおり、その96条を変えてしまうと、改正の資格を得られなくなる。
こういうもっともらしい理屈を知識人は喜ぶ。
しかし理屈なんてどうにでもなる。
憲法改正権の根拠を96条どまりで考える必要はない。
96条はさらに憲法制定権に依拠していると考えれば良い。
 
憲法制定権は、為政者、政治家にあるのではない。国民にある。
ゆえに国民投票に付して、憲法改正の規定を改正することも十分可能。
憲法改正権を96条に求めるのか、憲法制定権に求めるのかの違い。
どうですか、山田さん、理解して頂けましたかね。

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