転載元
書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」
『もう、国には頼らない』渡邊美樹
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渡邊
私はもちろんマーケット至上主義者ではありません。
あえていうなら、「消費者至上主義者」です。
私にとってマーケットメカニズムとは、サービスを通じてお客さまに幸せになっていただくための道具であり、より多くのお客さまからの「ありがとう」を集めるための手段にすぎません。
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著者は、お客様から「ありがとう」を集めているだけではない。
カンボジアにあまたの学校を作って、海外の人々からもたくさんの「ありがとう」を集めている。
一切汗を流すことなく法律を利用して、自分らの立場と権益を確保しているだけの「官」は、仮にNPOと称して組織を作っても、そこに天下る席を作って利権を拡張するだけだろう。
受益者の「ありがとう」とは無縁の生き方をしているのが「官」というものなのである。
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渡邊
いたるところに、従来「公」の担い手だったはずの「官」=役所と「政」=政治家とが手を出し、口を挟み、自由な競争を阻害している社会。
その仕組みの中にどっぷりと浸かった者だけが利益を得、一方で懸命に競い合い努力をしている人や企業が正当な果実を受け取れない社会。
こちらのほうこそ、むしろ格差が固定された歪んだ社会ではないでしょうか。
「官」と「政」の支配による歪みがもっとも端的に表れているのが、本書で取り上げている公的サービスの分野なのです。
「官」の仕事、そして「官」が仕切っている仕事の大半は、国民のためよりも、自分たちの利益を守るため、という側面を非常に強く持っているのではないでしょうか。
学校組織は生徒より教師のため、
病院と医療制度は患者より医師のため、
農業政策は国民より農家のため、
そしてそれぞれを束ねている「官」の息のかかった組織のためのものになってはいないでしょうか。
最終的には、彼らを票田としている政治家のため、
彼らの組織を天下り先としている役人のためのものになってはいないでしょうか。
介護の現場を見て回るうち、私は、直感的に「これは『福祉』にはなっているが、『サービス』にはなっていない」と気づきました。
要するに大半のサービスが、介護を受けるお年寄りたち、つまり顧客を見ていないのです。
根底にあるのが、ここでもやはり「行政=官」のつくりあげた福祉の仕組み。
この仕組みの中では、顧客=お年寄りに、「最低限のこと」を「やってあげる」のがせいぜいで、お年寄りの「顧客満足」を得られるようなサービスを実現するのは、とても無理だったのです。
「福祉」という言葉の美しさを隠れ蓑に、本来やるべき仕事がなされていない。私にはそう見えました。
施設があまりきれいでなくても、ご飯がおいしくなくても、「福祉」なんだから仕方がない。
こいう思い込みが一番の問題です。
何とも腹立たしかったのが、「特殊浴」と称して、お年寄りをカーウォッシャーのようなお風呂にやたら入れたがるということです。
本人の意思も確認せず、人前で裸にして洗ってしまう。
なぜか?
それが一番、作業効率がいいからです。そこにお客様にサービスしようという発想は皆無です。
私たちは、介護の世界で、「おむつゼロ」「経管食ゼロ」「特殊浴ゼロ」の、3大ゼロ達成を掲げてきました。その方針に「車椅子ゼロ」も加えて、4大ゼロにしました。
ロレーターを普及させて、車椅子をなくす運動を起こしてやろうと思っているのです。
(*ロレーター・・・歩行補助器具)
「つぼ八」をやっていたとき、自分にとって都合のいいスキルのある連中ほどさっさと辞めていきました。
そういう人はなまじ仕事ができるから、新しい理念なんか受け入れる気がないのです。
おかげでしばらくは店の現場がてんやわんやでしたが、数か月したら最高の店ができあがりました。
今のワタミの幹部というのは、そのとき残ってくれたスタッフです。
彼らは私と、理念を共有してくれたのです。
だから私は、ワタミから人が辞めることを恐れません。
それどころか、そもそも他人の幸せを自分の幸せと思わない人は、ワタミに入社してはいけない、とさえ思っています。
中途入社してきた社員にも、こう念を押します。
「タワミは『やらせていただく幸せ観』で経営しています。あなたがもし、自分はその感覚に合わないと気づいたら、すぐに会社を去ってもかまいません」と。
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そも「ブラック企業」なるネーミングは、十羽ひとからげの霞ヶ関文学ではないのか?
センセーショナルで覚えやすいタイトルに、
改革を嫌う官臭が漂うのを感じる。
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渡邊
この国の「官」がやることは、学校教育や医療でもそうでしたが、農業分野でも「誰のために」という顧客を念頭に置いた視点が欠けているのです。
農業は誰のためにあるのか?
農家のため?
農協のため?
農水省の役人のため?
違います。
農作物を口に入れる消費者、すなわち日本人のためにあるのです。
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書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」
『もう、国には頼らない』渡邊美樹
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渡邊
私はもちろんマーケット至上主義者ではありません。
あえていうなら、「消費者至上主義者」です。
私にとってマーケットメカニズムとは、サービスを通じてお客さまに幸せになっていただくための道具であり、より多くのお客さまからの「ありがとう」を集めるための手段にすぎません。
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著者は、お客様から「ありがとう」を集めているだけではない。
カンボジアにあまたの学校を作って、海外の人々からもたくさんの「ありがとう」を集めている。
一切汗を流すことなく法律を利用して、自分らの立場と権益を確保しているだけの「官」は、仮にNPOと称して組織を作っても、そこに天下る席を作って利権を拡張するだけだろう。
受益者の「ありがとう」とは無縁の生き方をしているのが「官」というものなのである。
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渡邊
いたるところに、従来「公」の担い手だったはずの「官」=役所と「政」=政治家とが手を出し、口を挟み、自由な競争を阻害している社会。
その仕組みの中にどっぷりと浸かった者だけが利益を得、一方で懸命に競い合い努力をしている人や企業が正当な果実を受け取れない社会。
こちらのほうこそ、むしろ格差が固定された歪んだ社会ではないでしょうか。
「官」と「政」の支配による歪みがもっとも端的に表れているのが、本書で取り上げている公的サービスの分野なのです。
「官」の仕事、そして「官」が仕切っている仕事の大半は、国民のためよりも、自分たちの利益を守るため、という側面を非常に強く持っているのではないでしょうか。
学校組織は生徒より教師のため、
病院と医療制度は患者より医師のため、
農業政策は国民より農家のため、
そしてそれぞれを束ねている「官」の息のかかった組織のためのものになってはいないでしょうか。
最終的には、彼らを票田としている政治家のため、
彼らの組織を天下り先としている役人のためのものになってはいないでしょうか。
介護の現場を見て回るうち、私は、直感的に「これは『福祉』にはなっているが、『サービス』にはなっていない」と気づきました。
要するに大半のサービスが、介護を受けるお年寄りたち、つまり顧客を見ていないのです。
根底にあるのが、ここでもやはり「行政=官」のつくりあげた福祉の仕組み。
この仕組みの中では、顧客=お年寄りに、「最低限のこと」を「やってあげる」のがせいぜいで、お年寄りの「顧客満足」を得られるようなサービスを実現するのは、とても無理だったのです。
「福祉」という言葉の美しさを隠れ蓑に、本来やるべき仕事がなされていない。私にはそう見えました。
施設があまりきれいでなくても、ご飯がおいしくなくても、「福祉」なんだから仕方がない。
こいう思い込みが一番の問題です。
何とも腹立たしかったのが、「特殊浴」と称して、お年寄りをカーウォッシャーのようなお風呂にやたら入れたがるということです。
本人の意思も確認せず、人前で裸にして洗ってしまう。
なぜか?
それが一番、作業効率がいいからです。そこにお客様にサービスしようという発想は皆無です。
私たちは、介護の世界で、「おむつゼロ」「経管食ゼロ」「特殊浴ゼロ」の、3大ゼロ達成を掲げてきました。その方針に「車椅子ゼロ」も加えて、4大ゼロにしました。
ロレーターを普及させて、車椅子をなくす運動を起こしてやろうと思っているのです。
(*ロレーター・・・歩行補助器具)
「つぼ八」をやっていたとき、自分にとって都合のいいスキルのある連中ほどさっさと辞めていきました。
そういう人はなまじ仕事ができるから、新しい理念なんか受け入れる気がないのです。
おかげでしばらくは店の現場がてんやわんやでしたが、数か月したら最高の店ができあがりました。
今のワタミの幹部というのは、そのとき残ってくれたスタッフです。
彼らは私と、理念を共有してくれたのです。
だから私は、ワタミから人が辞めることを恐れません。
それどころか、そもそも他人の幸せを自分の幸せと思わない人は、ワタミに入社してはいけない、とさえ思っています。
中途入社してきた社員にも、こう念を押します。
「タワミは『やらせていただく幸せ観』で経営しています。あなたがもし、自分はその感覚に合わないと気づいたら、すぐに会社を去ってもかまいません」と。
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そも「ブラック企業」なるネーミングは、十羽ひとからげの霞ヶ関文学ではないのか?
センセーショナルで覚えやすいタイトルに、
改革を嫌う官臭が漂うのを感じる。
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渡邊
この国の「官」がやることは、学校教育や医療でもそうでしたが、農業分野でも「誰のために」という顧客を念頭に置いた視点が欠けているのです。
農業は誰のためにあるのか?
農家のため?
農協のため?
農水省の役人のため?
違います。
農作物を口に入れる消費者、すなわち日本人のためにあるのです。
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