■敗戦国日本のプライドを取り戻す
安倍首相の憲法改正への意欲、海外注目
NewSphere 2014年12月25日
24日水曜に第3次安倍内閣が発足した。それを受けて、安倍氏は夜に記者会見を行い、今後の安倍政権が経済対策を優先課題として実行していく構えを見せたが、それとともに憲法改正への強い意欲を見せたことが海外メディアの注目を集めている。
◆敗戦国のプライドを立て直すために
ニューヨーク・タイムズ紙は、「安倍晋三氏が憲法改正を見据える」と題して、安倍首相が新内閣発足の会見で憲法改正への強い意欲を示したことを伝えた。
同紙は、憲法を自国で書かれたものに変え、敗戦国として傷ついたプライドを回復しようというのが、安倍氏を含む多くの右派の政治家が長い間求めてきたことだと述べ、アメリカの手による憲法ではなく、自分たちの手による憲法が、第二次世界大戦の敗戦を払拭したい政治家の悲願だったことを示した。
また、中国の台頭およびアメリカの地位の相対的な低下による試練に際して、日本の自衛隊が憲法で規制されているのは筋が通らないと考えている人が増えてきている、と同紙は指摘している。
しかし、実際に、日本の交戦権を否認している憲法9条を改正するには、戦時中の軍国主義を感じさせるものに拒否感を示す国民からの激しい抵抗にあうだろうと述べている。
憲法改正が「歴史的なチャレンジ」であると安倍首相はした上で、まずは防衛大臣に、元防衛庁長官で、自衛隊の役割の拡大を支持する中谷元氏を任命したことを伝えた。
◆構造改革と憲法改正に向けて
英フィナンシャル・タイムス紙も、安倍氏の首相再就任を伝える中で、安倍氏が押し進める経済政策「アベノミクス」を伝えるとともに、中谷元氏の防衛大臣就任を取り上げ、安倍氏の憲法改正への意欲を示した。
記事の前半で経済政策の三本目の矢である構造改革が道半ばであることを伝えつつ、後半には新防衛大臣の中谷氏に記事は集中。
中谷氏の任命は、年明けの国会で「集団的自衛権」に関する法案を提出する安倍氏の考えからだとしている。
同紙は、中谷氏が自身のホームページで憲法9条が現実に即していないと述べたことを引用、また安倍氏の会見での言葉を引用して、安倍首相の改憲への強い姿勢を報じた。
「21世紀にふさわしい、どのような憲法を作っていくか、国民みんなで考えていく事こそ、新しい日本を切り開いていくことにつながっていくと、こう信じるからでもある」。
◆憲法改正が自民党の大きな目標
中国国営新華社通信も、安倍氏が日本に景気回復をもたらすことを最優先としつつも、憲法改正が自民党の大きな目標だと強調したことを伝えた。
安倍氏の会見の言葉として、
「(自民党が)しっかりとした経済的な基盤を作って、国民生活を豊かにすると同時に、憲法改正をしていくと、この2つが大きな目標だった」
と引用。
それが容易な仕事ではないと認めつつ、
「これこそが正念場で、これこそが憲法改正の一番大切なポイント、舞台と言ってもいいと思う」
と述べた安倍氏の言葉を引用した。
ただ、安倍氏が中国や韓国、ロシアとの関係改善へ向けた動きを見せていることも伝え、安倍政権の近隣諸国との外交を尊重する構えも示している。
■1分でわかる維新の党の政策:身を切る改革と、競争政策の徹底
NewSphere2014年12月12日
12月14日に投開票される衆院選に向け、NewSphereでは各党の政策を深く知るため、1)経済成長、2)財政戦略、3)外交・安全保障の観点から、7点質問を行った。
維新の党の回答は下記の通り。
◆維新の党の回答
1)人口減少が進む中、無理に経済成長を追うべきでないとの思想も出てきています。
成長と平等、どちらに重点をおきますか。
↓
どちらも重要だが、成長がなければ平等のための再分配も出来ないと考える。
2)経済成長のための政治の役割について、規制緩和/内需拡大など方針を伺えますか。4年以内に実現したい政策を挙げてください(3点まで)
↓
・道州制への移行(国から地方への権限・財源の移譲)
・規制改革(参入規制緩和により、企業優先から消費者優先の政策へ)
・歳出削減を財源に、保育・教育等の将来世代向け予算の大幅増(人への投資)
3)社会保障制度の維持が危機と指摘されて久しいです。
国際的にみると日本の制度は「低負担、中福祉」と言えますが、今後は「低負担・低福祉」、「高負担・高福祉」、どちらを目指すべきだと考えますか
↓
(強いて言えば)低負担・低福祉。
給付の中身を変え、高齢者給付は適正化し、子育て等、現役・将来世代への給付は増やす。
4)上記の経済、財政政策に関し、財源をどのように捻出しますか。特に消費税に対しては、いつまでに何%まで増税すべきと考えますか
↓
財源は歳出削減を先行させ、額のうえでも歳出削減を主とする。
手法としては、
・国会議員が定数・歳費を3割削減して歳出削減への国民の信頼を得て、
・公務員人件費を2割、5兆円カットし、
・ムダな公共事業や既得権益への財政支出を削減する。
以上の徹底した歳出削減の後に、経済状況を見ながら、必要ならば消費税引き上げを行う。
「いつまでに何%」は、歳出削減の進捗と景気次第で変わる。
5)2017年に消費税増税を行う場合、どうやって悪影響をおさえますか。
(軽減税率、給付など)
↓
低所得者に直接給付(給付付税額控除等)。軽減税率には反対。
6)現時点で、日本の外交における最大のリスクは何だと考えていますか。
そのための対策はどうあるべきと考えていますか
↓
「最大のリスク」を特定はしない。
喫緊の課題の一つとして、尖閣諸島、小笠原周辺で起こりうる事態への対応がある。
領域警備法で自衛隊・海上保安庁の連携を強化し、日中当局間の海上連絡メカニズムの構築・充実が必要。
7)4年以内の憲法改正は必要でしょうか。必要な場合、どのように国民に必要性を説こうと考えていますか。
↓
必要。
これまでの中央集権的な統治の仕組みが、厳しいグローバル競争を勝ち抜くべき今の時代にはそぐわない実態を説明して、道州制を憲法上の制度とすべきことを一つの柱にして、憲法改正の必要性を説いていく。
◆編集部の補足
明瞭な回答をいただいた。
維新の党の経済成長戦略は、
競争政策の徹底。
混合診療解禁、保育バウチャー、農協改革、周波数オークション、IR推進、自然エネ立国など、自民党よりも “過激” な案が並んでいる。
財政については、議員歳費などコストカットが具体的に示されている。
社会保障については、負担は増やさないが、給付を適正化、つまり富裕層の給付削減などを構想している。
上記合わせ、最も「小さな政府」志向が強いといえるだろう。
さらに、憲法改正を道州制導入の観点から主張している点も特徴的だ。
■公明党 「加憲」で憲法の発展を
出典元 公明党マニフェスト
憲法については、2012年12月の自民党との連立政権の発足に当たって、
「(衆参各院の)憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める」
ことで合意されています。
また、2014年、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行されましたが、今後さらに国会で着実に審議を重ねるとともに、国民的な議論を深めていくことが最も重要であると考えます。
基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義。
この3原則は、日本国憲法の骨格をなす優れた人類普遍の原理です。
公明党は、日本国憲法がわが国の今日の発展を築く上で大きな役割を果たしてきたと認識しています。
時代に合わせて憲法を発展させるに当たっては、この3原則を堅持しつつ、新たに必要とされる理念・条文を現行憲法に加える「加憲」が最も現実的で妥当な方式と考えます。
「加憲」論議の対象としては、例えば、環境権など新しい人権、地方自治の拡充などが挙げられます。
憲法第9条については、戦争の放棄を定めた第1項、戦力の不保持等を定めた第2項を堅持した上で、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記や、「平和主義の理念」を体現した国際貢献の在り方について、「加憲」の論議の対象として慎重に検討していきます。
サルメラ:
公明党は風見鶏。
良く言えば、民意に敏感。
悪く言えば、もとより信念なく、政権内にいることだけが目的化している。
自民党は今、
公明党以外( 例えば維新 )と組んでも、楽々四年以内に、憲法改正関連の法案を通過させることができる。
もちろん、安倍が強行突破を決断するくらいの諸条件が整えば、の話だが。
これだけは言える。
今の勢力図では、公明党サイドから自民党に駆け引きはできない。
一方で今後、安倍の自民党は、維新の党と ますます距離を縮めることになるだろうと推測する。
( 渡辺喜美には、気の毒だが )
公明党や、渡辺喜美と違ってこれまで媚びてなかった分、
ある意味、する話によっては対等だ。
「憲法改正」と「大阪都構想」は同根である、と感覚する。
そして、
反対する連中は おそらく、
両方に反対するだろう。
権力に噛み付きながら、実は権力に可愛がられもする。
これが政治家・橋下の真骨頂だ。
( それで石原とくっついてしまうまでいったのは失敗だったが、その代わり、なかなか得れぬ、いい教訓も得たと思う )
住民投票が実現すれば、
大阪都抗争、
奇跡の大逆転もある。
【関連記事】↓
■検証・憲法施行65年
2012/05/03産経新聞より抜粋
◆「憲法9条、日本の対外関与を束縛」
◇検証・憲法施行65年、「米国製」、謎多い制定過程
日本国憲法が施行されてから65年を迎えた。
その間、一度も改正されず、世界でもまれな “不磨の大典” となりつつある。
9条の「戦争放棄」は誰が発案したのか。
天皇の章の「象徴」という言葉はどのようにして生まれたのか。
「米国製」といわれる現行憲法の制定過程を改めて検証した。
◆GHQの起草
毎日のスクープきっかけ
終戦から半年近くたった昭和21年2月1日、毎日新聞は1面トップで、日本側の松本烝治国務相を委員長とする憲法問題調査委員会(通称・松本委員会)で検討されていた憲法改正案をスクープし、その中身を詳しく報じた。
2月3日、最高司令官のマッカーサー元帥は民政局のホイットニー局長に憲法草案の作成を指示し、次の三原則「マッカーサー・ノート」を記した黄色い紙を渡した。
(1)天皇は、国家元首の地位にある…
(2)国の主権的権利としての戦争は、廃止する…
(3)日本の封建制度は、廃止される…
民政局の職員の分担が決められ、翌4日から、大急ぎで草案づくりが始められた。
産経新聞の米極秘文書特別取材班が昭和50年、米ミシガン大学図書館で発掘した民政局のハッシー海軍中佐の資料(ハッシー文書)は、その模様を生々しく伝えている。
2月4日「ホイットニー将軍は民政局の新憲法草案を2月12日までに完成し、マッカーサー将軍の承認を得たいと述べた。
その日にホイットニー将軍は吉田茂外相らと彼らの憲法草案について非公式の会談を持つことになっている。
ホイットニー将軍はこの会談で、
「天皇を護持し、彼ら自身の地位を維持するために残された唯一の可能な道は、はっきりと左寄りの道(DECISIVE SWING TO THE LEFT)をとる憲法を受け入れ、承認する以外にないことを分からせるつもりであると述べた」
2月6日
「この作業中、民政局内には日本人は何人(なんぴと)も立ち入らせてはならないことをスタッフに再確認させた。
この作業に関するすべての書類は、夜間は保管金庫にカギをかけてしまっておくよう注意があった。
ナラシ(楢橋渡・内閣書記官長)のディナー・パーティーに出席する職員には、いかなる政治的な議論もしないよう注意があった」
「ルースト中佐から、われわれ民政局で考え出した憲法を、厳密に日本側で作った文書として発布することは、心理的な信用性の面で問題を引き起こすのではないかとの発言があった。
…これに対し、ケーディス大佐(次長)がそうした不一致を認めながらも、アメリカの政治イデオロギーと、日本の憲法上で最良もしくは最もリベラルな思想との間には、ギャップはないと指摘した」
2月10日
「民政局より最高司令官宛
『私はここに日本国民のための憲法改正草案を提出するものであります。
…この文書は、他日、元帥閣下の示された高邁(こうまい)な原則(マッカーサー三原則)、あるいは閣下が時に応じて指示された他の諸点と合致するものであります…』」
(昭和50年6月24日付産経より)
民政局で作成されたいわゆる「マッカーサー草案」は2月13日、吉田外相官邸で日本側に示された。
実は、毎日がスクープしたのは、松本委員会で煮詰まりつつあった甲案や乙案ではなく、委員の宮沢俊義東大教授が独自に作成した私案だったが、大きな違いはなかった。
毎日のスクープがGHQによる憲法草案づくりのきっかけになったことは確かだ。
◆「戦争放棄」発案者は誰か
昭和21年2月3日、マッカーサー元帥がホイットニー民政局長に示した三原則(マッカーサー・ノート)の第二原則は2つの段落に分けてこう書かれていた。
「国の主権的権利としての戦争は、廃止する。
日本は、紛争解決の手段としての戦争、
および自己の安全を保持するための手段としてさえ、戦争を放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」
「いかなる日本陸・海・空軍も決して認められず、いかなる交戦者の権利も、日本軍隊に決して与えられない」
この戦争放棄の原則について、マッカーサーは後に回想記で、昭和21年1月24日に幣原(しではら)喜重郎首相の訪問を受けたときの模様をこう書いている。
「首相はそこで、新憲法を起草する際、
戦争と戦力の維持を、永久に放棄する条項を含めてはどうか、
と提案した。
日本はそうすることによって、軍国主義と警察による恐怖政治の再発を防ぎ、同時に日本は、将来平和の道を進むつもりだ、ということを自由世界の最も懐疑的な連中にも納得させるだけの、確かな証拠を示すことができる、
というのが首相の説明だった」
「私は腰が抜けるほどおどろいた」
(昭和39年2月5日付朝日新聞の「マッカーサー回想記」第31回より)
これによると、戦争放棄条項はマッカーサー自身でなく、幣原首相の発案だったことになる。
しかし、当時、幣原内閣の厚相だった芦田均氏は21年2月22日付の日記で、幣原首相が前日のマッカーサーとの会談の模様を閣議で次のように説明したと記している。
「MacArthurは先ず例の如く演説を初めた」
「『…吾等(われら)がBasic forms(基本原理)といふのは草案第一条(主権在民と象徴天皇制)と戦争を抛棄(ほうき)すると規定するところに在る。
…日本の為(た)めに図るに寧(むし)ろ第二章(草案)の如く国策遂行の為めにする戦争を抛棄すると声明して日本がMoral Leadershipを握るべきだと思ふ』」
「幣原は此時(このとき)語を挿(はさ)んでleadershipと言はれるが、恐らく誰もfollower(追随者)とならないだらうと言つた」
芦田日記によれば、戦争放棄はマッカーサーの発案で、幣原首相はこれに異を唱えたとされる。
このほか、幣原首相とマッカーサー元帥が意気投合したなどの説もあり、真相は今も謎だ。
◆「赤い条項」と家族条項
2月13日、日本側に示されたマッカーサー草案は2月19日の閣議で、松本国務相から報告された後、佐藤達夫・法制局第一部長らを交えて日本側による修正作業が始まった。
マ草案の中には、松本氏が「共産主義の条文じゃないか」と指摘した部分があった。
28条の
「土地及一切の天然資源の究極的所有権は人民の集団的代表者としての国家に帰属す…」
(外務省仮訳)
という規定だ。
3月4日から5日にかけて行われた日本側とGHQの折衝で、日本側が
「あまりに概念的で一般の人には分からないから削りたい」
と申し出たところ、
GHQは簡単に同意したと、佐藤氏は自著「日本国憲法誕生記」(中公文庫)に書いている。
他方、日本側の修正で改悪されたケースもある。
マ草案の家族に関する規定は、こんな文言だった。
23条 家族は人類社会の基底にして其(そ)の伝統は善かれ悪しかれ国民に滲透(しんとう)す。
婚姻は男女両性の法律上及社会上の争ふ可からさる平等の上に存し…
これが日本側の修正を得て3月6日に発表された憲法改正草案要綱では、こう変わっていた。
22条 婚姻は両性双方の合意に基きてのみ成立し且(かつ)夫婦が同等の権利を有することを基本とし…
なぜか、冒頭の「家族は人類社会の基底にして…」のくだりが消えていた。
その理由を佐藤氏は「日本国憲法誕生記」でこう書いている。
「『家族は…』のところは、わざわざ憲法に書くまでのこともなかろう、ということで黙殺してしまった」
「昨今、憲法改正論議の一つの題目に家族の尊重ということがあげられているのに関連して、いささかのこそばゆさをもって思い出される条文である」
その後、7月から開かれた衆院憲法改正小委員会で、社会党の鈴木義男氏や森戸辰男氏らが
「国民の家庭生活は保護される」
との文言の追加を求めたが、認められなかった。
10月6日の貴族院本会議でも、法律学者の牧野英一氏らが「家族生活は、これを尊重する」との文言を加える修正案を出したが、賛成165票、反対135票で、改正に必要な3分の2に達せず、否決された。
この結果、現行憲法に「家族尊重」の文言は入らなかった。
◆「元首」はなぜ「象徴」となったのか
昭和32年10月16日の憲法調査会総会に、幣原内閣の法制局第一、第二部長として憲法制定にかかわった佐藤達夫氏が呼ばれ、後の首相、中曽根康弘氏は
「マッカーサーがホイットニー民政局長に与えた指令では、天皇は “元首” となっているのにマ草案で “象徴” になった事情はどうか」
と質問した。
佐藤氏は
「元首が象徴になった事情はナゾである」
と答えた。
中曽根氏の質問にある「指令」は「天皇は国家元首の地位にある」というマッカーサー・ノート(三原則)の第一原則を指す。
英文で
「Emperor is at the head of the state」
とある。
民政局で「天皇」の章を担当したリチャード・プール氏(海軍少尉)は後に、憲法学者の西修氏のインタビューに
「(マッカーサー・ノートには)
『天皇は国家元首である(Emperor is the head of the state)』
とは書かれていなかった。
天皇の品位を汚そうなどということは全く念頭になかった」
と語っている。
では、「象徴(symbol)」という言葉は、どうして生まれたのか。
プール氏とともに「天皇」の章を担当したジョージ・ネルソン氏(陸軍中尉)は西氏に対し、英国の憲法学者、ウォルター・バジェットの『英国憲法』(1867年)の一節から取ったと説明した。
その本には、
「イギリスに女王がいなければ、現在のイギリス政府は崩壊し、消滅してしまうであろう。
…国王は不偏不党である。
国王が一見して実際の業務から距離を保っていることが、自らを憎悪と汚辱から遠ざけ、その神秘性を保持し、
…象徴を必要とする人々にとって目に見える統合の象徴であることを可能にするゆえんなのである」
と書かれている。
憲法草案を審議する21年6月の衆院本会議で、
「象徴」は明治憲法の「元首」に戻すべきではないかとの質問も出された。
これに対し、金森徳次郎国務相は
「従来の理念を抹消し、新たな言葉を創造するという観点から、『象徴』という言葉が理想的であると考えた。
『元首』は旧世紀的なもののように思える」
と答弁した。
今でこそ、「象徴」という言葉は定着したように見えるが、当時の国民は相当な違和感を持った。
◆「芦田修正」めぐる曲折
マッカーサー草案で8条にあった戦争放棄条項は、日本側とGHQの折衝を経て3月6日に発表された「帝国憲法改正草案要綱」では9条に移された。
その後も、口語体に変えた「帝国憲法改正草案」などが発表されたが、戦争放棄は9条が定位置になる。
その9条に関する日本側での本格的な議論が行われたのは、芦田均氏を委員長とする衆院憲法改正小委員会(通称・芦田小委員会)の場である。
正式名称は
「衆議院帝国憲法改正案委員小委員会」
で、7月25日から8月20日まで計13回、非公開で行われた。
芦田小委員会が始まった段階で、9条はこうなっていた。
• 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
(第1項)
• 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。
国の交戦権は、これを認めない。
(第2項)
• 7月29日、芦田氏は9条の2項の冒頭に
「前項の目的を達するため」
との文言を追加することを提案した。
「芦田修正」といわれる。
その後、この修正案はケーディス次長の承認を得られ、現行憲法の規定になった。
芦田氏は後に昭和32年12月の憲法調査会総会で
「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります」
「原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが、一定の条件の下に武力を持たないということになります。
日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります」
と発言し、自衛のための「戦力」を持てるとする自衛隊合憲論の有力な根拠になった。
昭和54年3月、東京新聞が “スクープ” した「芦田日記」の21年7月のところにも、
「自衛権の行使は別であると解釈する余地を残したい、との配慮からでたものである」
と書かれていたと報道された。
しかし、7年後の昭和61年、岩波書店から刊行された芦田日記には、そのような記述がなく、自衛権保持の余地を残したとする核心部分の記述は記者の加筆と判明した。
芦田修正を根拠にした自衛隊合憲論は支えを失ったかに見えたが、西修氏はこの加筆報道騒動に先立ち、米マッカーサー記念館で、芦田修正をめぐる重要な極東委員会関係文書を見つけた。
極東委員会は米ワシントンに設置された旧ソ連など連合国11カ国の代表から成る日本占領政策に関する最高意思決定機関である。
西氏が発見した文書には、極東委員会が
「芦田修正により、自衛のための戦力保持が可能になった」
と判断し、その歯止めとして、大臣が軍人でないことを求める「文民条項」の挿入を日本側に迫った経緯が記されていた。
このことは平成8年1月に解禁された旧貴族院帝国憲法改正案特別委員小委員会の秘密議事録でも裏付けられた。
これが現行憲法66条2項の
「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」
との規定だ。
しかし、日本政府は芦田修正説による自衛隊合憲論でなく、
自衛隊は「戦力」に至らない必要最小限度の「実力組織」であるとする苦しい解釈をしている。
◆検閲で封印された「出生の秘密」
西修氏は米メリーランド大図書館で、憲法の記述に関するGHQの検閲の実態を調べた。
そこで明らかになったのは、憲法が「米国製」であるという言論をGHQが徹底的に封じ込めた事実だ。
西氏の研究によると、例えば、松本委員会のメンバーで九州大学教授の河村又介氏が昭和21年11月に刊行しようとした「新憲法の制定に就(つい)て」は発禁処分(SUPPRESS)にされ、特に問題とされた次の部分に削除を意味する線が引かれていた。
「敗戦国日本の現状と致(いた)しまして何一つとして占領軍の即ち連合諸国の諒解なくして出来ないこと、皆さんの御承知の通りであります。
国家の根本法たる憲法と雖(いえど)もその例外であり得る訳ではありません」
「私は実際には改正はなかなかむづかしいであらうと思ひます。
何故かと言ふと仮令(たとい)占領軍が撤退した後と雖も連合諸国が鵜の目鷹の目で日本の政治経済文化其の他凡(あら)ゆる方面を見張りをしてそれが連合国の思想や利害に反しないやうに監視を続けるだらうと思ひます」
また、東大教授で後に最高裁長官になる横田喜三郎氏が「日本管理法令研究」誌の第1巻9号(21年12月1日)に書いた「新憲法と平和立国」と題する論文は次のような記述が削除を命じられた。
「かならずしも連合国によつてその管理の基本原則をおしつけられたと見るべきではない。
この基本原則は新しい日本として本来の行き方を示すのであつて、連合国の管理がなくても、日本は自発的にかような基本原則を自己の政策として採用すべきはずのものであつた」
検閲は共産党系の著書にも及んだ。
プロレタリア文学作家、中野重治氏が「展望」昭和22年1月号に書いた論文の次の部分に線が引かれていた。
「あれ(憲法案)が議会に出た朝、それとも前の日だつたか、
あの下書きは日本人が書いたものだと連合軍総司令部が発表して新聞に出た。
日本の憲法を日本人がつくるその下書きは日本人が書いたのだと外国人からわざわざことわつて発表してもらはねばならぬほど何と恥さらしの自国政府を日本国民が黙認してることだらう」
GHQに好意的な横田喜三郎氏の論文まで検閲を受けたことは、GHQが憲法の “出生の秘密” を知られまいと神経質になっていた事実を物語っている。
共産党は現在、「護憲」を唱えているが、当時は新憲法に強く反対した。
21年6月の衆院本会議で、共産党の野坂参三氏は
「戦争には、不正な戦争と正しい戦争がある。
不正な戦争とは日本の支配者が行ったような戦争で、この侵略戦争に対して戦う戦争は自衛戦争である。
憲法には、侵略戦争の放棄と明記すべきではないか」
と質問した。
これに対し、吉田茂首相は
「多くの戦争は正当防衛を名目にして行われてきた。
いかなる名目でも戦争を行わない方がよい」
と答えた。
当時は、共産党が自衛戦争を容認し、吉田内閣は自衛戦争を含めたすべての戦争を否定していた。
◆【GHQ民政局での憲法起草作業分担表】
(ハッシー文書より)
≪運営委員会≫
チャールズ・ケーディス陸軍大佐、
アルフレッド・ハッシー海軍中佐、
マイロ・ラウレル陸軍中佐、
ルース・エラマン
≪立法に関する委員会≫
フランク・ヘイズ陸軍中佐、
ガイ・スウォーブ海軍中佐、
オズボン・ホージ陸軍中佐、
ガートルド・ノーマン
≪行政に関する委員会≫
サイラス・ピーク、
ジェイコブ・ミラー
≪司法に関する委員会≫
マイロ・ラウレル陸軍中佐、
アルフレッド・ハッシー海軍中佐、
マーガレット・ストーン
≪市民権に関する委員会≫
ピーター・ルースト陸軍中佐、
ハリー・ワイルズ
≪地方行政に関する委員会≫
セシル・ティルトン陸軍少佐、
ロイ・マルコム海軍少佐
≪財政に関する委員会≫
フランク・リゾー陸軍大尉
≪天皇・条約及び授権に関する委員会≫
リチャード・プール海軍少尉、
ジョージ・ネルソン陸軍中尉
◆政財界・有識者や報道機関など相次ぎ提言
日本国憲法をめぐっては、これまでにいくつもの改正案や新憲法制定の提言がなされている。
サンフランシスコ講和条約発効2年後の昭和29年には、早くも旧自由党や改進党の憲法調査会が改正要綱などを発表。
旧自由党の要綱では、天皇を元首と定め、「最小限度の軍隊」の設置を規定した。
昭和47年には、自民党の憲法調査会が稲葉修会長私案として天皇の地位の明確化や国による家庭の保護などの改正方針を提言した。
冷戦終結後、政党では、自民党が結党50周年の平成17年に条文化した「新憲法草案」を発表。
象徴天皇制の維持や「自衛軍」の保持、
政教分離要件の緩和などを世に問うた。
民主党は憲法調査会が同年の「憲法提言」で、
「首相主導の政府運営の実現」
「新しい人権の確立」
などの方針を訴えた。
旧民社党の議員と有識者で作る創憲会議も同年、国旗国歌や領土規定、外国人の権利保護などを新設した「新憲法草案」をまとめた。
このほか、鳩山由紀夫元首相ら議員個人の試案もある。
民間では、中曽根康弘元首相が会長を務める世界平和研究所が同年、「憲法改正試案」を公表。
前文で「独自の文化と固有の民族生活」を強調したほか、
「防衛軍」の保持や憲法裁判所の創設などを訴えた。
有識者でつくる「『21世紀の日本と憲法』有識者懇談会」(民間憲法臨調)は憲法施行60周年の19年、歴史や伝統を踏まえた緩やかな政教分離規定などを盛り込んだ「新憲法大綱案」を発表した。
経済界では、経済同友会(15年)、日本商工会議所(16年)、経団連(17年)、日本青年会議所(18年)から意見書などが出されている。
報道機関では、読売新聞社が6年、12年、16年の3回、「憲法改正試案」を公表している。
◆自衛隊・天皇・PKO・9条改正で主張展開
産経新聞は昭和56年元日付年頭の主張で、新聞社として初めて憲法改正を主張した。
当時の日本の公法学者の9割が自衛隊違憲論を唱えていた状況を踏まえ、自衛隊を認めるための9条改正を訴える内容だった。
その後も憲法記念日の5月3日付主張などで、憲法改正に関するいくつかの提言を行った。
例えば、56年5月3日付主張で、天皇が元首であるという法的地位を明確にしてもよいのではないかと呼びかけた。
昭和天皇の崩御に伴うご大喪が行われた平成元年の5月3日付主張では、当時の竹下登内閣が現行憲法の政教分離規定を厳格(杓子定規)に解釈し、皇室行事の「葬場殿の儀」と国の儀式としての「大喪の礼」に分けたことを批判し、柔軟な解釈を求めた。
湾岸戦争が始まった年の3年5月3日付主張は、それまでの一国平和主義を批判し、集団的自衛権の行使や国連の平和維持活動(PKO)への自衛隊派遣などの問題に言及した。
阪神大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が重なった平成7年には、5月3日付から3日連続で憲法問題を論じ、緊急時に首相に非常大権を与えることや自衛隊の地位を憲法で明確に規定することなどの必要性を訴えた。
9年から10年にかけ、神戸市の中学生による連続児童殺傷事件や栃木県黒磯市での中学生による女性教諭刺殺事件など少年の凶悪事件が相次いだ。
これを受けた10年5月3日付主張は、家庭教育を憲法でどう位置づけるかを論じ、両親に教育義務を課したドイツ基本法のような明確な家庭教育条項を憲法に盛り込むことを提案した。
その後、軍拡を続ける中国と核開発を公言する北朝鮮の脅威が深刻化し、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することをうたった憲法の前文や9条の改正を重ねて訴えた。
昨年3月の東日本大震災から2カ月後の5月3日付主張は、憲法の国家緊急事態に対する規定が不十分であることを改めて指摘し、
非常時に頼りになる自衛隊を「国民の軍隊」として明記する必要性を強調した。
安倍首相の憲法改正への意欲、海外注目
NewSphere 2014年12月25日
24日水曜に第3次安倍内閣が発足した。それを受けて、安倍氏は夜に記者会見を行い、今後の安倍政権が経済対策を優先課題として実行していく構えを見せたが、それとともに憲法改正への強い意欲を見せたことが海外メディアの注目を集めている。
◆敗戦国のプライドを立て直すために
ニューヨーク・タイムズ紙は、「安倍晋三氏が憲法改正を見据える」と題して、安倍首相が新内閣発足の会見で憲法改正への強い意欲を示したことを伝えた。
同紙は、憲法を自国で書かれたものに変え、敗戦国として傷ついたプライドを回復しようというのが、安倍氏を含む多くの右派の政治家が長い間求めてきたことだと述べ、アメリカの手による憲法ではなく、自分たちの手による憲法が、第二次世界大戦の敗戦を払拭したい政治家の悲願だったことを示した。
また、中国の台頭およびアメリカの地位の相対的な低下による試練に際して、日本の自衛隊が憲法で規制されているのは筋が通らないと考えている人が増えてきている、と同紙は指摘している。
しかし、実際に、日本の交戦権を否認している憲法9条を改正するには、戦時中の軍国主義を感じさせるものに拒否感を示す国民からの激しい抵抗にあうだろうと述べている。
憲法改正が「歴史的なチャレンジ」であると安倍首相はした上で、まずは防衛大臣に、元防衛庁長官で、自衛隊の役割の拡大を支持する中谷元氏を任命したことを伝えた。
◆構造改革と憲法改正に向けて
英フィナンシャル・タイムス紙も、安倍氏の首相再就任を伝える中で、安倍氏が押し進める経済政策「アベノミクス」を伝えるとともに、中谷元氏の防衛大臣就任を取り上げ、安倍氏の憲法改正への意欲を示した。
記事の前半で経済政策の三本目の矢である構造改革が道半ばであることを伝えつつ、後半には新防衛大臣の中谷氏に記事は集中。
中谷氏の任命は、年明けの国会で「集団的自衛権」に関する法案を提出する安倍氏の考えからだとしている。
同紙は、中谷氏が自身のホームページで憲法9条が現実に即していないと述べたことを引用、また安倍氏の会見での言葉を引用して、安倍首相の改憲への強い姿勢を報じた。
「21世紀にふさわしい、どのような憲法を作っていくか、国民みんなで考えていく事こそ、新しい日本を切り開いていくことにつながっていくと、こう信じるからでもある」。
◆憲法改正が自民党の大きな目標
中国国営新華社通信も、安倍氏が日本に景気回復をもたらすことを最優先としつつも、憲法改正が自民党の大きな目標だと強調したことを伝えた。
安倍氏の会見の言葉として、
「(自民党が)しっかりとした経済的な基盤を作って、国民生活を豊かにすると同時に、憲法改正をしていくと、この2つが大きな目標だった」
と引用。
それが容易な仕事ではないと認めつつ、
「これこそが正念場で、これこそが憲法改正の一番大切なポイント、舞台と言ってもいいと思う」
と述べた安倍氏の言葉を引用した。
ただ、安倍氏が中国や韓国、ロシアとの関係改善へ向けた動きを見せていることも伝え、安倍政権の近隣諸国との外交を尊重する構えも示している。
■1分でわかる維新の党の政策:身を切る改革と、競争政策の徹底
NewSphere2014年12月12日
12月14日に投開票される衆院選に向け、NewSphereでは各党の政策を深く知るため、1)経済成長、2)財政戦略、3)外交・安全保障の観点から、7点質問を行った。
維新の党の回答は下記の通り。
◆維新の党の回答
1)人口減少が進む中、無理に経済成長を追うべきでないとの思想も出てきています。
成長と平等、どちらに重点をおきますか。
↓
どちらも重要だが、成長がなければ平等のための再分配も出来ないと考える。
2)経済成長のための政治の役割について、規制緩和/内需拡大など方針を伺えますか。4年以内に実現したい政策を挙げてください(3点まで)
↓
・道州制への移行(国から地方への権限・財源の移譲)
・規制改革(参入規制緩和により、企業優先から消費者優先の政策へ)
・歳出削減を財源に、保育・教育等の将来世代向け予算の大幅増(人への投資)
3)社会保障制度の維持が危機と指摘されて久しいです。
国際的にみると日本の制度は「低負担、中福祉」と言えますが、今後は「低負担・低福祉」、「高負担・高福祉」、どちらを目指すべきだと考えますか
↓
(強いて言えば)低負担・低福祉。
給付の中身を変え、高齢者給付は適正化し、子育て等、現役・将来世代への給付は増やす。
4)上記の経済、財政政策に関し、財源をどのように捻出しますか。特に消費税に対しては、いつまでに何%まで増税すべきと考えますか
↓
財源は歳出削減を先行させ、額のうえでも歳出削減を主とする。
手法としては、
・国会議員が定数・歳費を3割削減して歳出削減への国民の信頼を得て、
・公務員人件費を2割、5兆円カットし、
・ムダな公共事業や既得権益への財政支出を削減する。
以上の徹底した歳出削減の後に、経済状況を見ながら、必要ならば消費税引き上げを行う。
「いつまでに何%」は、歳出削減の進捗と景気次第で変わる。
5)2017年に消費税増税を行う場合、どうやって悪影響をおさえますか。
(軽減税率、給付など)
↓
低所得者に直接給付(給付付税額控除等)。軽減税率には反対。
6)現時点で、日本の外交における最大のリスクは何だと考えていますか。
そのための対策はどうあるべきと考えていますか
↓
「最大のリスク」を特定はしない。
喫緊の課題の一つとして、尖閣諸島、小笠原周辺で起こりうる事態への対応がある。
領域警備法で自衛隊・海上保安庁の連携を強化し、日中当局間の海上連絡メカニズムの構築・充実が必要。
7)4年以内の憲法改正は必要でしょうか。必要な場合、どのように国民に必要性を説こうと考えていますか。
↓
必要。
これまでの中央集権的な統治の仕組みが、厳しいグローバル競争を勝ち抜くべき今の時代にはそぐわない実態を説明して、道州制を憲法上の制度とすべきことを一つの柱にして、憲法改正の必要性を説いていく。
◆編集部の補足
明瞭な回答をいただいた。
維新の党の経済成長戦略は、
競争政策の徹底。
混合診療解禁、保育バウチャー、農協改革、周波数オークション、IR推進、自然エネ立国など、自民党よりも “過激” な案が並んでいる。
財政については、議員歳費などコストカットが具体的に示されている。
社会保障については、負担は増やさないが、給付を適正化、つまり富裕層の給付削減などを構想している。
上記合わせ、最も「小さな政府」志向が強いといえるだろう。
さらに、憲法改正を道州制導入の観点から主張している点も特徴的だ。
■公明党 「加憲」で憲法の発展を
出典元 公明党マニフェスト
憲法については、2012年12月の自民党との連立政権の発足に当たって、
「(衆参各院の)憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める」
ことで合意されています。
また、2014年、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行されましたが、今後さらに国会で着実に審議を重ねるとともに、国民的な議論を深めていくことが最も重要であると考えます。
基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義。
この3原則は、日本国憲法の骨格をなす優れた人類普遍の原理です。
公明党は、日本国憲法がわが国の今日の発展を築く上で大きな役割を果たしてきたと認識しています。
時代に合わせて憲法を発展させるに当たっては、この3原則を堅持しつつ、新たに必要とされる理念・条文を現行憲法に加える「加憲」が最も現実的で妥当な方式と考えます。
「加憲」論議の対象としては、例えば、環境権など新しい人権、地方自治の拡充などが挙げられます。
憲法第9条については、戦争の放棄を定めた第1項、戦力の不保持等を定めた第2項を堅持した上で、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記や、「平和主義の理念」を体現した国際貢献の在り方について、「加憲」の論議の対象として慎重に検討していきます。
サルメラ:
公明党は風見鶏。
良く言えば、民意に敏感。
悪く言えば、もとより信念なく、政権内にいることだけが目的化している。
自民党は今、
公明党以外( 例えば維新 )と組んでも、楽々四年以内に、憲法改正関連の法案を通過させることができる。
もちろん、安倍が強行突破を決断するくらいの諸条件が整えば、の話だが。
これだけは言える。
今の勢力図では、公明党サイドから自民党に駆け引きはできない。
一方で今後、安倍の自民党は、維新の党と ますます距離を縮めることになるだろうと推測する。
( 渡辺喜美には、気の毒だが )
公明党や、渡辺喜美と違ってこれまで媚びてなかった分、
ある意味、する話によっては対等だ。
「憲法改正」と「大阪都構想」は同根である、と感覚する。
そして、
反対する連中は おそらく、
両方に反対するだろう。
権力に噛み付きながら、実は権力に可愛がられもする。
これが政治家・橋下の真骨頂だ。
( それで石原とくっついてしまうまでいったのは失敗だったが、その代わり、なかなか得れぬ、いい教訓も得たと思う )
住民投票が実現すれば、
大阪都抗争、
奇跡の大逆転もある。
【関連記事】↓
■検証・憲法施行65年
2012/05/03産経新聞より抜粋
◆「憲法9条、日本の対外関与を束縛」
◇検証・憲法施行65年、「米国製」、謎多い制定過程
日本国憲法が施行されてから65年を迎えた。
その間、一度も改正されず、世界でもまれな “不磨の大典” となりつつある。
9条の「戦争放棄」は誰が発案したのか。
天皇の章の「象徴」という言葉はどのようにして生まれたのか。
「米国製」といわれる現行憲法の制定過程を改めて検証した。
◆GHQの起草
毎日のスクープきっかけ
終戦から半年近くたった昭和21年2月1日、毎日新聞は1面トップで、日本側の松本烝治国務相を委員長とする憲法問題調査委員会(通称・松本委員会)で検討されていた憲法改正案をスクープし、その中身を詳しく報じた。
2月3日、最高司令官のマッカーサー元帥は民政局のホイットニー局長に憲法草案の作成を指示し、次の三原則「マッカーサー・ノート」を記した黄色い紙を渡した。
(1)天皇は、国家元首の地位にある…
(2)国の主権的権利としての戦争は、廃止する…
(3)日本の封建制度は、廃止される…
民政局の職員の分担が決められ、翌4日から、大急ぎで草案づくりが始められた。
産経新聞の米極秘文書特別取材班が昭和50年、米ミシガン大学図書館で発掘した民政局のハッシー海軍中佐の資料(ハッシー文書)は、その模様を生々しく伝えている。
2月4日「ホイットニー将軍は民政局の新憲法草案を2月12日までに完成し、マッカーサー将軍の承認を得たいと述べた。
その日にホイットニー将軍は吉田茂外相らと彼らの憲法草案について非公式の会談を持つことになっている。
ホイットニー将軍はこの会談で、
「天皇を護持し、彼ら自身の地位を維持するために残された唯一の可能な道は、はっきりと左寄りの道(DECISIVE SWING TO THE LEFT)をとる憲法を受け入れ、承認する以外にないことを分からせるつもりであると述べた」
2月6日
「この作業中、民政局内には日本人は何人(なんぴと)も立ち入らせてはならないことをスタッフに再確認させた。
この作業に関するすべての書類は、夜間は保管金庫にカギをかけてしまっておくよう注意があった。
ナラシ(楢橋渡・内閣書記官長)のディナー・パーティーに出席する職員には、いかなる政治的な議論もしないよう注意があった」
「ルースト中佐から、われわれ民政局で考え出した憲法を、厳密に日本側で作った文書として発布することは、心理的な信用性の面で問題を引き起こすのではないかとの発言があった。
…これに対し、ケーディス大佐(次長)がそうした不一致を認めながらも、アメリカの政治イデオロギーと、日本の憲法上で最良もしくは最もリベラルな思想との間には、ギャップはないと指摘した」
2月10日
「民政局より最高司令官宛
『私はここに日本国民のための憲法改正草案を提出するものであります。
…この文書は、他日、元帥閣下の示された高邁(こうまい)な原則(マッカーサー三原則)、あるいは閣下が時に応じて指示された他の諸点と合致するものであります…』」
(昭和50年6月24日付産経より)
民政局で作成されたいわゆる「マッカーサー草案」は2月13日、吉田外相官邸で日本側に示された。
実は、毎日がスクープしたのは、松本委員会で煮詰まりつつあった甲案や乙案ではなく、委員の宮沢俊義東大教授が独自に作成した私案だったが、大きな違いはなかった。
毎日のスクープがGHQによる憲法草案づくりのきっかけになったことは確かだ。
◆「戦争放棄」発案者は誰か
昭和21年2月3日、マッカーサー元帥がホイットニー民政局長に示した三原則(マッカーサー・ノート)の第二原則は2つの段落に分けてこう書かれていた。
「国の主権的権利としての戦争は、廃止する。
日本は、紛争解決の手段としての戦争、
および自己の安全を保持するための手段としてさえ、戦争を放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」
「いかなる日本陸・海・空軍も決して認められず、いかなる交戦者の権利も、日本軍隊に決して与えられない」
この戦争放棄の原則について、マッカーサーは後に回想記で、昭和21年1月24日に幣原(しではら)喜重郎首相の訪問を受けたときの模様をこう書いている。
「首相はそこで、新憲法を起草する際、
戦争と戦力の維持を、永久に放棄する条項を含めてはどうか、
と提案した。
日本はそうすることによって、軍国主義と警察による恐怖政治の再発を防ぎ、同時に日本は、将来平和の道を進むつもりだ、ということを自由世界の最も懐疑的な連中にも納得させるだけの、確かな証拠を示すことができる、
というのが首相の説明だった」
「私は腰が抜けるほどおどろいた」
(昭和39年2月5日付朝日新聞の「マッカーサー回想記」第31回より)
これによると、戦争放棄条項はマッカーサー自身でなく、幣原首相の発案だったことになる。
しかし、当時、幣原内閣の厚相だった芦田均氏は21年2月22日付の日記で、幣原首相が前日のマッカーサーとの会談の模様を閣議で次のように説明したと記している。
「MacArthurは先ず例の如く演説を初めた」
「『…吾等(われら)がBasic forms(基本原理)といふのは草案第一条(主権在民と象徴天皇制)と戦争を抛棄(ほうき)すると規定するところに在る。
…日本の為(た)めに図るに寧(むし)ろ第二章(草案)の如く国策遂行の為めにする戦争を抛棄すると声明して日本がMoral Leadershipを握るべきだと思ふ』」
「幣原は此時(このとき)語を挿(はさ)んでleadershipと言はれるが、恐らく誰もfollower(追随者)とならないだらうと言つた」
芦田日記によれば、戦争放棄はマッカーサーの発案で、幣原首相はこれに異を唱えたとされる。
このほか、幣原首相とマッカーサー元帥が意気投合したなどの説もあり、真相は今も謎だ。
◆「赤い条項」と家族条項
2月13日、日本側に示されたマッカーサー草案は2月19日の閣議で、松本国務相から報告された後、佐藤達夫・法制局第一部長らを交えて日本側による修正作業が始まった。
マ草案の中には、松本氏が「共産主義の条文じゃないか」と指摘した部分があった。
28条の
「土地及一切の天然資源の究極的所有権は人民の集団的代表者としての国家に帰属す…」
(外務省仮訳)
という規定だ。
3月4日から5日にかけて行われた日本側とGHQの折衝で、日本側が
「あまりに概念的で一般の人には分からないから削りたい」
と申し出たところ、
GHQは簡単に同意したと、佐藤氏は自著「日本国憲法誕生記」(中公文庫)に書いている。
他方、日本側の修正で改悪されたケースもある。
マ草案の家族に関する規定は、こんな文言だった。
23条 家族は人類社会の基底にして其(そ)の伝統は善かれ悪しかれ国民に滲透(しんとう)す。
婚姻は男女両性の法律上及社会上の争ふ可からさる平等の上に存し…
これが日本側の修正を得て3月6日に発表された憲法改正草案要綱では、こう変わっていた。
22条 婚姻は両性双方の合意に基きてのみ成立し且(かつ)夫婦が同等の権利を有することを基本とし…
なぜか、冒頭の「家族は人類社会の基底にして…」のくだりが消えていた。
その理由を佐藤氏は「日本国憲法誕生記」でこう書いている。
「『家族は…』のところは、わざわざ憲法に書くまでのこともなかろう、ということで黙殺してしまった」
「昨今、憲法改正論議の一つの題目に家族の尊重ということがあげられているのに関連して、いささかのこそばゆさをもって思い出される条文である」
その後、7月から開かれた衆院憲法改正小委員会で、社会党の鈴木義男氏や森戸辰男氏らが
「国民の家庭生活は保護される」
との文言の追加を求めたが、認められなかった。
10月6日の貴族院本会議でも、法律学者の牧野英一氏らが「家族生活は、これを尊重する」との文言を加える修正案を出したが、賛成165票、反対135票で、改正に必要な3分の2に達せず、否決された。
この結果、現行憲法に「家族尊重」の文言は入らなかった。
◆「元首」はなぜ「象徴」となったのか
昭和32年10月16日の憲法調査会総会に、幣原内閣の法制局第一、第二部長として憲法制定にかかわった佐藤達夫氏が呼ばれ、後の首相、中曽根康弘氏は
「マッカーサーがホイットニー民政局長に与えた指令では、天皇は “元首” となっているのにマ草案で “象徴” になった事情はどうか」
と質問した。
佐藤氏は
「元首が象徴になった事情はナゾである」
と答えた。
中曽根氏の質問にある「指令」は「天皇は国家元首の地位にある」というマッカーサー・ノート(三原則)の第一原則を指す。
英文で
「Emperor is at the head of the state」
とある。
民政局で「天皇」の章を担当したリチャード・プール氏(海軍少尉)は後に、憲法学者の西修氏のインタビューに
「(マッカーサー・ノートには)
『天皇は国家元首である(Emperor is the head of the state)』
とは書かれていなかった。
天皇の品位を汚そうなどということは全く念頭になかった」
と語っている。
では、「象徴(symbol)」という言葉は、どうして生まれたのか。
プール氏とともに「天皇」の章を担当したジョージ・ネルソン氏(陸軍中尉)は西氏に対し、英国の憲法学者、ウォルター・バジェットの『英国憲法』(1867年)の一節から取ったと説明した。
その本には、
「イギリスに女王がいなければ、現在のイギリス政府は崩壊し、消滅してしまうであろう。
…国王は不偏不党である。
国王が一見して実際の業務から距離を保っていることが、自らを憎悪と汚辱から遠ざけ、その神秘性を保持し、
…象徴を必要とする人々にとって目に見える統合の象徴であることを可能にするゆえんなのである」
と書かれている。
憲法草案を審議する21年6月の衆院本会議で、
「象徴」は明治憲法の「元首」に戻すべきではないかとの質問も出された。
これに対し、金森徳次郎国務相は
「従来の理念を抹消し、新たな言葉を創造するという観点から、『象徴』という言葉が理想的であると考えた。
『元首』は旧世紀的なもののように思える」
と答弁した。
今でこそ、「象徴」という言葉は定着したように見えるが、当時の国民は相当な違和感を持った。
◆「芦田修正」めぐる曲折
マッカーサー草案で8条にあった戦争放棄条項は、日本側とGHQの折衝を経て3月6日に発表された「帝国憲法改正草案要綱」では9条に移された。
その後も、口語体に変えた「帝国憲法改正草案」などが発表されたが、戦争放棄は9条が定位置になる。
その9条に関する日本側での本格的な議論が行われたのは、芦田均氏を委員長とする衆院憲法改正小委員会(通称・芦田小委員会)の場である。
正式名称は
「衆議院帝国憲法改正案委員小委員会」
で、7月25日から8月20日まで計13回、非公開で行われた。
芦田小委員会が始まった段階で、9条はこうなっていた。
• 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
(第1項)
• 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。
国の交戦権は、これを認めない。
(第2項)
• 7月29日、芦田氏は9条の2項の冒頭に
「前項の目的を達するため」
との文言を追加することを提案した。
「芦田修正」といわれる。
その後、この修正案はケーディス次長の承認を得られ、現行憲法の規定になった。
芦田氏は後に昭和32年12月の憲法調査会総会で
「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります」
「原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが、一定の条件の下に武力を持たないということになります。
日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります」
と発言し、自衛のための「戦力」を持てるとする自衛隊合憲論の有力な根拠になった。
昭和54年3月、東京新聞が “スクープ” した「芦田日記」の21年7月のところにも、
「自衛権の行使は別であると解釈する余地を残したい、との配慮からでたものである」
と書かれていたと報道された。
しかし、7年後の昭和61年、岩波書店から刊行された芦田日記には、そのような記述がなく、自衛権保持の余地を残したとする核心部分の記述は記者の加筆と判明した。
芦田修正を根拠にした自衛隊合憲論は支えを失ったかに見えたが、西修氏はこの加筆報道騒動に先立ち、米マッカーサー記念館で、芦田修正をめぐる重要な極東委員会関係文書を見つけた。
極東委員会は米ワシントンに設置された旧ソ連など連合国11カ国の代表から成る日本占領政策に関する最高意思決定機関である。
西氏が発見した文書には、極東委員会が
「芦田修正により、自衛のための戦力保持が可能になった」
と判断し、その歯止めとして、大臣が軍人でないことを求める「文民条項」の挿入を日本側に迫った経緯が記されていた。
このことは平成8年1月に解禁された旧貴族院帝国憲法改正案特別委員小委員会の秘密議事録でも裏付けられた。
これが現行憲法66条2項の
「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」
との規定だ。
しかし、日本政府は芦田修正説による自衛隊合憲論でなく、
自衛隊は「戦力」に至らない必要最小限度の「実力組織」であるとする苦しい解釈をしている。
◆検閲で封印された「出生の秘密」
西修氏は米メリーランド大図書館で、憲法の記述に関するGHQの検閲の実態を調べた。
そこで明らかになったのは、憲法が「米国製」であるという言論をGHQが徹底的に封じ込めた事実だ。
西氏の研究によると、例えば、松本委員会のメンバーで九州大学教授の河村又介氏が昭和21年11月に刊行しようとした「新憲法の制定に就(つい)て」は発禁処分(SUPPRESS)にされ、特に問題とされた次の部分に削除を意味する線が引かれていた。
「敗戦国日本の現状と致(いた)しまして何一つとして占領軍の即ち連合諸国の諒解なくして出来ないこと、皆さんの御承知の通りであります。
国家の根本法たる憲法と雖(いえど)もその例外であり得る訳ではありません」
「私は実際には改正はなかなかむづかしいであらうと思ひます。
何故かと言ふと仮令(たとい)占領軍が撤退した後と雖も連合諸国が鵜の目鷹の目で日本の政治経済文化其の他凡(あら)ゆる方面を見張りをしてそれが連合国の思想や利害に反しないやうに監視を続けるだらうと思ひます」
また、東大教授で後に最高裁長官になる横田喜三郎氏が「日本管理法令研究」誌の第1巻9号(21年12月1日)に書いた「新憲法と平和立国」と題する論文は次のような記述が削除を命じられた。
「かならずしも連合国によつてその管理の基本原則をおしつけられたと見るべきではない。
この基本原則は新しい日本として本来の行き方を示すのであつて、連合国の管理がなくても、日本は自発的にかような基本原則を自己の政策として採用すべきはずのものであつた」
検閲は共産党系の著書にも及んだ。
プロレタリア文学作家、中野重治氏が「展望」昭和22年1月号に書いた論文の次の部分に線が引かれていた。
「あれ(憲法案)が議会に出た朝、それとも前の日だつたか、
あの下書きは日本人が書いたものだと連合軍総司令部が発表して新聞に出た。
日本の憲法を日本人がつくるその下書きは日本人が書いたのだと外国人からわざわざことわつて発表してもらはねばならぬほど何と恥さらしの自国政府を日本国民が黙認してることだらう」
GHQに好意的な横田喜三郎氏の論文まで検閲を受けたことは、GHQが憲法の “出生の秘密” を知られまいと神経質になっていた事実を物語っている。
共産党は現在、「護憲」を唱えているが、当時は新憲法に強く反対した。
21年6月の衆院本会議で、共産党の野坂参三氏は
「戦争には、不正な戦争と正しい戦争がある。
不正な戦争とは日本の支配者が行ったような戦争で、この侵略戦争に対して戦う戦争は自衛戦争である。
憲法には、侵略戦争の放棄と明記すべきではないか」
と質問した。
これに対し、吉田茂首相は
「多くの戦争は正当防衛を名目にして行われてきた。
いかなる名目でも戦争を行わない方がよい」
と答えた。
当時は、共産党が自衛戦争を容認し、吉田内閣は自衛戦争を含めたすべての戦争を否定していた。
◆【GHQ民政局での憲法起草作業分担表】
(ハッシー文書より)
≪運営委員会≫
チャールズ・ケーディス陸軍大佐、
アルフレッド・ハッシー海軍中佐、
マイロ・ラウレル陸軍中佐、
ルース・エラマン
≪立法に関する委員会≫
フランク・ヘイズ陸軍中佐、
ガイ・スウォーブ海軍中佐、
オズボン・ホージ陸軍中佐、
ガートルド・ノーマン
≪行政に関する委員会≫
サイラス・ピーク、
ジェイコブ・ミラー
≪司法に関する委員会≫
マイロ・ラウレル陸軍中佐、
アルフレッド・ハッシー海軍中佐、
マーガレット・ストーン
≪市民権に関する委員会≫
ピーター・ルースト陸軍中佐、
ハリー・ワイルズ
≪地方行政に関する委員会≫
セシル・ティルトン陸軍少佐、
ロイ・マルコム海軍少佐
≪財政に関する委員会≫
フランク・リゾー陸軍大尉
≪天皇・条約及び授権に関する委員会≫
リチャード・プール海軍少尉、
ジョージ・ネルソン陸軍中尉
◆政財界・有識者や報道機関など相次ぎ提言
日本国憲法をめぐっては、これまでにいくつもの改正案や新憲法制定の提言がなされている。
サンフランシスコ講和条約発効2年後の昭和29年には、早くも旧自由党や改進党の憲法調査会が改正要綱などを発表。
旧自由党の要綱では、天皇を元首と定め、「最小限度の軍隊」の設置を規定した。
昭和47年には、自民党の憲法調査会が稲葉修会長私案として天皇の地位の明確化や国による家庭の保護などの改正方針を提言した。
冷戦終結後、政党では、自民党が結党50周年の平成17年に条文化した「新憲法草案」を発表。
象徴天皇制の維持や「自衛軍」の保持、
政教分離要件の緩和などを世に問うた。
民主党は憲法調査会が同年の「憲法提言」で、
「首相主導の政府運営の実現」
「新しい人権の確立」
などの方針を訴えた。
旧民社党の議員と有識者で作る創憲会議も同年、国旗国歌や領土規定、外国人の権利保護などを新設した「新憲法草案」をまとめた。
このほか、鳩山由紀夫元首相ら議員個人の試案もある。
民間では、中曽根康弘元首相が会長を務める世界平和研究所が同年、「憲法改正試案」を公表。
前文で「独自の文化と固有の民族生活」を強調したほか、
「防衛軍」の保持や憲法裁判所の創設などを訴えた。
有識者でつくる「『21世紀の日本と憲法』有識者懇談会」(民間憲法臨調)は憲法施行60周年の19年、歴史や伝統を踏まえた緩やかな政教分離規定などを盛り込んだ「新憲法大綱案」を発表した。
経済界では、経済同友会(15年)、日本商工会議所(16年)、経団連(17年)、日本青年会議所(18年)から意見書などが出されている。
報道機関では、読売新聞社が6年、12年、16年の3回、「憲法改正試案」を公表している。
◆自衛隊・天皇・PKO・9条改正で主張展開
産経新聞は昭和56年元日付年頭の主張で、新聞社として初めて憲法改正を主張した。
当時の日本の公法学者の9割が自衛隊違憲論を唱えていた状況を踏まえ、自衛隊を認めるための9条改正を訴える内容だった。
その後も憲法記念日の5月3日付主張などで、憲法改正に関するいくつかの提言を行った。
例えば、56年5月3日付主張で、天皇が元首であるという法的地位を明確にしてもよいのではないかと呼びかけた。
昭和天皇の崩御に伴うご大喪が行われた平成元年の5月3日付主張では、当時の竹下登内閣が現行憲法の政教分離規定を厳格(杓子定規)に解釈し、皇室行事の「葬場殿の儀」と国の儀式としての「大喪の礼」に分けたことを批判し、柔軟な解釈を求めた。
湾岸戦争が始まった年の3年5月3日付主張は、それまでの一国平和主義を批判し、集団的自衛権の行使や国連の平和維持活動(PKO)への自衛隊派遣などの問題に言及した。
阪神大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が重なった平成7年には、5月3日付から3日連続で憲法問題を論じ、緊急時に首相に非常大権を与えることや自衛隊の地位を憲法で明確に規定することなどの必要性を訴えた。
9年から10年にかけ、神戸市の中学生による連続児童殺傷事件や栃木県黒磯市での中学生による女性教諭刺殺事件など少年の凶悪事件が相次いだ。
これを受けた10年5月3日付主張は、家庭教育を憲法でどう位置づけるかを論じ、両親に教育義務を課したドイツ基本法のような明確な家庭教育条項を憲法に盛り込むことを提案した。
その後、軍拡を続ける中国と核開発を公言する北朝鮮の脅威が深刻化し、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することをうたった憲法の前文や9条の改正を重ねて訴えた。
昨年3月の東日本大震災から2カ月後の5月3日付主張は、憲法の国家緊急事態に対する規定が不十分であることを改めて指摘し、
非常時に頼りになる自衛隊を「国民の軍隊」として明記する必要性を強調した。