転載元 be with gods
『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』
「天は自らを神として自惚れたイエス・キリストに荷担はしていなかった」
とあるが、
自らを神として自惚れた著名な人物として思い浮かぶのは、織田信長である。
織田信長と謀反の明智光秀の関係と、イエス・キリストと裏切り者ユダの関係について、織田信長を通して少し検討してみましょう。
無神論者のように思われている信長は、桶狭間の戦いを前に、熱田神宮に先勝祈願を行った。
勝利の後、現存する「信長塀」を寄進している。
熱田神宮は、三種の神器の一つ「草薙神剣」を御神体としており、天照大神・素盞鳴神・日本武尊等が祀られている。
草薙神剣は、素盞鳴神が八岐大蛇を退治した際にその尻尾から出てきたとされる剣です。
おそらく信長は織田家の氏神と同じスサノオ神に祈願したのでしょう。
その当時、一向一揆の一向宗、武田信玄、上杉謙信、僧兵の居る比叡山などが、信長の天下統一の大きな障害となっていた。
そこで、彼は、足利義昭を将軍に押し、比叡山の焼き討ちの前年、一向宗を攻めた。
しかし、攻めきれず攻略に失敗している。
意気盛んな一向宗は、本願寺に君臨する生き仏の顕如法王が、法然も親鸞も説かなかった「宗門のために戦うことを拒んで破門された門徒は、極楽浄土に往生することはできない」と教えた。
そのため門徒は「進むは往生極楽、退くは無間地獄」と大書きした幟を押し立てて、戦った。
その結果、1482年、加賀の門徒は13万ないし20万の大軍で守護の富樫政親を自害に追い込んで、加賀一国を「百姓ノ持タル国」に変えた。
以後、加賀は国家権力の及ばない本願寺法王の「法王国」となったが、同じ事が日本各地で起こる可能性があった。
そこで信長は比叡山を一気に焼き落とした。
この時、信長は日本中の仏教界を敵に回し、仏敵となった。
これに対して、一向宗他仏教団体と当時の天皇と将軍に押された信玄は、「天台座主沙門信玄」の名で信長に書状を送り、信長を挑発した。
ところが、信長は「第六天魔王」を名乗って返信した。
信長は偶像崇拝の仏教は、全く信じておらず、高野山の焼き討ちを計画していた。
さらに安土城の建築の時、築城のための石が不足し、使えそうな仏像を壊して建築用材に使ったと伝えられている。
そして、信長は一向宗を滅ぼした、日本を密教革命から救った救世主である。
ここで、信長について書かれた『第六天魔王 信長』からの情報を元に、さらに検討を加えました。
無神論のように思われる信長は、氏神の大剣神社、津島牛頭天王社、愛宕神社(ダキニ天信仰)、泰山を信仰していたと云う。
(略)
当時、信長のみならず、武田信玄や上杉謙信等などの戦国武将達は、戦に勝つために鬼神を祭っていました。
信長が安土城を築城する時、「蛇石」という巨石を、4~5千人がかりで、安土山に上げたことが文献に残されています。
が、その巨石は遺跡としては発見されておらず、おそらく安土城の基礎の石として使われたのだと云われています。
ここで思い出されるのは、スサノオ神の黄泉の国から宝を持ち出した大国主命は、スサノオ神から「地の底の石根に宮殿の柱をしっかり据え、天空に垂木を高く上げて天地をしっかり領せよ」と励まされた。
その後に大国主命は、国造りを始めたということです。
つまり、「蛇石」=「石根」の上に、
「安土城」=「宮殿(出雲大社)」を建築し、
「大国主命は日本国の建国を始めた」=「信長は自分を神とする国を建国しようとした」
と、置き換えられないでしょうか。
更に、地下一階、地上六階の安土城は、
地下が地獄、地上六階が仏教で云う六つの階層から成る須弥山に例えられます。
須弥山は生きて活動するダイナミックな宇宙を、仏教の世界として、シンボル化した概念で、その最上階に第六天魔王が居り、すべての神々を支配する場所なのです。
そして、仏陀はこの須弥山から離れた、永遠の静寂の中に解脱していると云われている。
また、キリスト教宣教師のフロイスは信長が、
「日本の偶像である神や仏に対する祭式と信心を一切無視していた」、
「予、自らが神体である」
と言ったと述べています。
安土城の「天守」閣は、「天主」閣であり、「天主」は御神体である信長自身のことだったと伝えられている。
朝廷は、日々強大になってゆく信長に次々に官位を与え、本能寺の変の一ヶ月前には、征夷大将軍の座をちらつかせている。
しかし、信長は、既成の権威に関心を示さなかった。
これに対して、朝廷は信長の脅威から、暗殺を謀ったとしても不思議ではないと思われます。
これまでは、光秀が突然単独で行ったのではないかと言われていましたが、光秀は秦一族の出であり、信長と朝廷との連絡役を務めていたため、朝廷の命に従って信長を暗殺したのではないかという説もあります。
家康は今後の戦乱を予想して、光秀を討とうとせず、帰城する。
ところが、秀吉は毛利と停戦を結び、すぐに引き返した。
光秀一族は、本能寺の変後、同族の長宗我部元親を頼って土佐に潜伏していた。
おそらく、家康は、光秀と秀吉との戦いを予想し、秀吉を光秀・家康・毛利で滅ぼそうと計画していたのではないでしょうか。
『太平記 第十六巻 日本朝敵の事』と、
『沙石集』(1279~83年製作)に、
サタン・ダビデの霊言ではないかとおもわれる箇所があるので、参考文献の現代約から抜粋して紹介します。
これらの資料には、日本に仏教が導入されれば、第六天魔王が現れ、皇室を滅ぼすという事、それから第六天魔王の方が天照大神よりも上位なのだと述べられている。
結局、サタン・ダビデは、第六天魔王 信長により日本を支配しようとしたことが伺えます。
イザナギ・イザナミの第一の御子神が、『この国の主と成て』伊勢に鎮座したとき、第六天魔王が現れた。
魔王は、この日本の国に仏法が広まると力を失うという理由から、天照大神の働きを妨害しようとした。
そこで天照大神は、魔王に
「私は仏・法・僧の三宝には近づかない」
と誓った。
魔王は怒りを鎮め、その血で契約書を書き、天照大神に手渡した。
「世界が滅び去るまで天照大神の末裔をこの国の主とする。
もし、天皇の命に従わず、国を乱し、人民を苦しめるものがあれば、魔王の眷属が必ず罰を与え、死をもって報いさせよう」。
(『太平記』)
天照大神が大海の底にある大日如来の印文を鉾で探ったとき、第六天魔王が
「鉾のしたたりが国となって仏法を流布する相がある」
といって、大御神を攻め殺すために現れた。
そこで大御神は
「われ三宝の名をも言わじ、わが身にも近づけじ、とくとく帰り上がりたまへ」
といって魔王を帰した。
(『沙石集』)
さらに、日本の神楽の演目『八幡』の中に、悪魔「第六天魔王」が、宇佐八幡宮に祀られる「八幡神」に退治されるという物語がある。
八幡神は、神通の弓と方便の矢をもって滅ぼすという。
宇佐八幡宮によれば、八幡大神の御名は「応神天皇(誉田別尊)」とあり、継体天皇の父は応神天皇5世の孫に当たり、近江に本拠を持ち、母は越国の人だった。
住吉大社の「神代記」には、誉田別尊は、仲哀天皇の子では無く、住吉大神の子とある。
また、応神天皇が名前を交換した気比神社の主神は、航海安全と水産漁業の隆昌のイザサワケ大神で、住吉大社と同じ海神である。
つまり、織田信長は、海神・住吉大神=秦氏一族により滅ぼされたという意味だ。
応神天皇にも関連のある渡来人である秦氏に関して、武士の政治を終わらせた明治維新にもその血筋が流れていた。
信濃の秦能俊氏は、平安末期、土佐の長岡郡宗我部郷に入り、鎌倉時代に地頭として発達し、戦国時代に土佐を統一した。
薩摩の島津氏は、秦氏の末裔としての意識が強く、関ヶ原の合戦に敗れ、薩摩に強大な秦王国(隋書倭人伝にある『秦王国』は豊前地方のこの地にあったのだと言われている)を築きあげてきた。
長宗我部氏とゆかりが強い明智光秀をルーツとするといわれる坂本龍馬もまた、おそらく秦一族だったのであろうと推測されている。
つまり、現天皇家の祖神が、秦氏の血を引く明智光秀に命じて、秦一族である織田信長を許さなかった。
しかも、秦氏の血を引く坂本龍馬は、薩長連合を実現し、幕府の大政奉還を実現させた。
織田信長の死後、徳川家康は大坂夏の陣で豊臣家を完全に滅亡させ、偶像崇拝の仏教をそのままに、下克上を伴う戦乱よりも日本式儒教精神に基づく、徳川家の安泰と国家平和を目指し、天皇家を従わせる形で国家統一を成功させた。
長い平和の後、四方を海で囲まれた日本は、黒船により何処からでも武力侵略される脅威に晒された。
この脅威を取り除き、日本の存続のために明治維新が断行されました。
つまり平安時代のように秦氏が支援する明治の体制が実現されたのです。
この結果、坂本龍馬は暗殺された。
当時の武器商人グラバーのグラバー商会は、日本の内戦が大政奉還により終結したことにより、明治三年倒産した。
それは明治維新で各藩の財政事情は苦しくなり、商会が大量に買い付けた武器と戦艦が大量に売れ残り、長崎の倉庫に山積みとなったためだった。
つまり米国の南北戦争のような泥沼に至らず、欧米列強は日本に介入できず、植民地化する絶好のチャンスを失ってしまった。
欧州の手先である武器商人が、龍馬を暗殺したと推測する説もありますが、真実は今後の検証を待つしかありません。
同様に、西郷隆盛を挑発し西南戦争を引き起こさせたのもまた、武器商人にからむ者達なのかもしれません。
◇
猿は太陽と関連しており、猿は日(太陽)の使いとされ、日吉(ヒエ 日枝)神社では神聖視されている。
一説には、「神」の字に「申」が入っていることにも関連しているのかも知れないと云われています。
日吉大社の復興に貢献した秀吉が、後に経歴に箔を付けるために、幼少期の名前を「猿」、日吉丸の名を付けたとも云われています。
また、天宇受売命の子孫が猿女君で、伊勢の氏族で、朝廷祭祀の舞などに奉仕する女を猿女という。
このことから、秀吉は自らの出生を、秦氏と並ぶ朝廷祭祀の氏族として世間に認めさせたかったのでしょう。
◇
イエスの時代の納骨と日本の納骨堂の様式が似ていることからも、
ユダ一族の血流はもしかしたら、青森の八戸、戸来村に、たどり着いたのかもしれない、
ということが言えるのです。
◇
日本には、表門と裏門があります。
太陽「○」の裏門は、亀の甲羅型の六角紋です。
イエスの墓には「○」があり、妻マリアの棺桶には「六角紋」が明確に掘り込まれています。
そこで、思い出されるのが、カゴメの歌です。
籠の中の鳥を救世主とすれば、この歌で救世主が飛び出るのは、鶴と亀が結ばれるときです。
結ばれるときが、救世主の誕生です。
しかし、この預言の真意は、鶴は太陽神、亀はその神妻で、このお二人が結ばれる、つまり正式に御結婚される時、
救世主が籠から飛び出ると言う意味だと思われます。
ですから、カゴメ歌で、手をつないで円状に取り囲んでいるのは、天の神々を意味しているのではないでしょうか。
私達日本人が意味も分からずに歌い続けてきた歌謡の中に、ダニエル書を完結するものとして、人類の救世主預言が秘められていたのです。
◆カゴメ歌について
カゴメ歌の特徴は、繰り返しと反語の対が多いことだ。
カゴメ、カゴメと二度繰り返される。
そして、「夜明け」と「晩」、
「後ろ」と「正面」のように、
表裏の関係が繰り返される。
鶴は「太陽」の象徴で、
亀は鶴の裏紋なので「月」とすれば、
これも表と裏の関係が繰り返されている。
カゴメ歌の謎かけ問答の答えは、籠の中の鳥が、出てくるタイミングと、その名前を当てることだ。
カゴメをイスラエルとすれば、二つのイスラエルは、表と裏の2種類のイスラエルを意味する。
また、籠はモーセの籠、鳥は救いを意味するとすれば、この鳥は救世主=メシアである。
このように推理すると、カゴメの歌は、下記のように解釈される。
カゴメ カゴメ
表のイスラエル=イスラエル
裏のイスラエル=日本
籠の中の鳥はいついつでやる
救世主はいつ現れる
夜明けの晩に
夜明け(太陽) 晩(月)
鶴と亀がすべった
鶴は太陽の象徴
亀は太陽の裏紋で月の象徴
もしくは、
太陽神 神妻
後ろの正面だあれ
太陽の後ろで、月の正面に居るのは誰?
それでは、太陽の後ろ、月の前に挟まれているのは、誰なのだろうか。
ヒントは、エジプトと日本神話の中にあった。
エジプトでも日本でも、
右目が太陽で、左目が月とされる。
つまり、太陽(天照大神)の後ろで、
月(月夜尊)の前は、鼻である。
古事記では、スサノオ尊のことである。
更に、イスラエルの太陽で思い出されるのは、義の太陽のイエス。
であれば、月は母マリアに相当する。
また、神を男性として、イスラエルを月や女性として表すことが多くある。
「娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。」
(ゼカリア書 9章9)
だとすれば、「鶴と亀がすべった」には複数の解釈が可能になりますが、いずれも成就しており、すでに過去の物語です。
ここで「すべった」の意味は当地の方言では、「むすばれる」の意味だという点にご注意下さい。
案1.イスラエルと日本が結ばれるときに、救世主スサノオが現れる。
旧約聖書の預言と同じで、
古代日本においてエフライム族とユダ族が合流しており、すでに成就しています。
「神である主はこう仰せられる。
見よ。
わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖(注:王権のこと)と、
それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、私の手の中で一つとする」
(エゼキエル書 三七章 十九)
案2.太陽神ミカエルと神妻が、結ばれるとき、救世主が現れる。
ダニエル書12章
「その時あなたの民を守っている大いなるミカエルが立ち上がります。」
に続く預言であり、
20世紀において成就しています。
案3.もう一つは、義の太陽イエスと妻マグダラのマリアが結ばれ、その子の血流が日本において救世主スサノオとして現れる。
つまり、有名な1999年に恐怖の大王(イエスの再臨)が、日本にスサノウとして誕生するという意味ですが、これはすでに天上界により阻止されています。
尚、この場合、「夜明けの晩」の部分は、
明けの明星=ルシファーと、宵の明星=ニンフルサグを象徴していると解釈できます。
『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』
「天は自らを神として自惚れたイエス・キリストに荷担はしていなかった」
とあるが、
自らを神として自惚れた著名な人物として思い浮かぶのは、織田信長である。
織田信長と謀反の明智光秀の関係と、イエス・キリストと裏切り者ユダの関係について、織田信長を通して少し検討してみましょう。
無神論者のように思われている信長は、桶狭間の戦いを前に、熱田神宮に先勝祈願を行った。
勝利の後、現存する「信長塀」を寄進している。
熱田神宮は、三種の神器の一つ「草薙神剣」を御神体としており、天照大神・素盞鳴神・日本武尊等が祀られている。
草薙神剣は、素盞鳴神が八岐大蛇を退治した際にその尻尾から出てきたとされる剣です。
おそらく信長は織田家の氏神と同じスサノオ神に祈願したのでしょう。
その当時、一向一揆の一向宗、武田信玄、上杉謙信、僧兵の居る比叡山などが、信長の天下統一の大きな障害となっていた。
そこで、彼は、足利義昭を将軍に押し、比叡山の焼き討ちの前年、一向宗を攻めた。
しかし、攻めきれず攻略に失敗している。
意気盛んな一向宗は、本願寺に君臨する生き仏の顕如法王が、法然も親鸞も説かなかった「宗門のために戦うことを拒んで破門された門徒は、極楽浄土に往生することはできない」と教えた。
そのため門徒は「進むは往生極楽、退くは無間地獄」と大書きした幟を押し立てて、戦った。
その結果、1482年、加賀の門徒は13万ないし20万の大軍で守護の富樫政親を自害に追い込んで、加賀一国を「百姓ノ持タル国」に変えた。
以後、加賀は国家権力の及ばない本願寺法王の「法王国」となったが、同じ事が日本各地で起こる可能性があった。
そこで信長は比叡山を一気に焼き落とした。
この時、信長は日本中の仏教界を敵に回し、仏敵となった。
これに対して、一向宗他仏教団体と当時の天皇と将軍に押された信玄は、「天台座主沙門信玄」の名で信長に書状を送り、信長を挑発した。
ところが、信長は「第六天魔王」を名乗って返信した。
信長は偶像崇拝の仏教は、全く信じておらず、高野山の焼き討ちを計画していた。
さらに安土城の建築の時、築城のための石が不足し、使えそうな仏像を壊して建築用材に使ったと伝えられている。
そして、信長は一向宗を滅ぼした、日本を密教革命から救った救世主である。
ここで、信長について書かれた『第六天魔王 信長』からの情報を元に、さらに検討を加えました。
無神論のように思われる信長は、氏神の大剣神社、津島牛頭天王社、愛宕神社(ダキニ天信仰)、泰山を信仰していたと云う。
(略)
当時、信長のみならず、武田信玄や上杉謙信等などの戦国武将達は、戦に勝つために鬼神を祭っていました。
信長が安土城を築城する時、「蛇石」という巨石を、4~5千人がかりで、安土山に上げたことが文献に残されています。
が、その巨石は遺跡としては発見されておらず、おそらく安土城の基礎の石として使われたのだと云われています。
ここで思い出されるのは、スサノオ神の黄泉の国から宝を持ち出した大国主命は、スサノオ神から「地の底の石根に宮殿の柱をしっかり据え、天空に垂木を高く上げて天地をしっかり領せよ」と励まされた。
その後に大国主命は、国造りを始めたということです。
つまり、「蛇石」=「石根」の上に、
「安土城」=「宮殿(出雲大社)」を建築し、
「大国主命は日本国の建国を始めた」=「信長は自分を神とする国を建国しようとした」
と、置き換えられないでしょうか。
更に、地下一階、地上六階の安土城は、
地下が地獄、地上六階が仏教で云う六つの階層から成る須弥山に例えられます。
須弥山は生きて活動するダイナミックな宇宙を、仏教の世界として、シンボル化した概念で、その最上階に第六天魔王が居り、すべての神々を支配する場所なのです。
そして、仏陀はこの須弥山から離れた、永遠の静寂の中に解脱していると云われている。
また、キリスト教宣教師のフロイスは信長が、
「日本の偶像である神や仏に対する祭式と信心を一切無視していた」、
「予、自らが神体である」
と言ったと述べています。
安土城の「天守」閣は、「天主」閣であり、「天主」は御神体である信長自身のことだったと伝えられている。
朝廷は、日々強大になってゆく信長に次々に官位を与え、本能寺の変の一ヶ月前には、征夷大将軍の座をちらつかせている。
しかし、信長は、既成の権威に関心を示さなかった。
これに対して、朝廷は信長の脅威から、暗殺を謀ったとしても不思議ではないと思われます。
これまでは、光秀が突然単独で行ったのではないかと言われていましたが、光秀は秦一族の出であり、信長と朝廷との連絡役を務めていたため、朝廷の命に従って信長を暗殺したのではないかという説もあります。
家康は今後の戦乱を予想して、光秀を討とうとせず、帰城する。
ところが、秀吉は毛利と停戦を結び、すぐに引き返した。
光秀一族は、本能寺の変後、同族の長宗我部元親を頼って土佐に潜伏していた。
おそらく、家康は、光秀と秀吉との戦いを予想し、秀吉を光秀・家康・毛利で滅ぼそうと計画していたのではないでしょうか。
『太平記 第十六巻 日本朝敵の事』と、
『沙石集』(1279~83年製作)に、
サタン・ダビデの霊言ではないかとおもわれる箇所があるので、参考文献の現代約から抜粋して紹介します。
これらの資料には、日本に仏教が導入されれば、第六天魔王が現れ、皇室を滅ぼすという事、それから第六天魔王の方が天照大神よりも上位なのだと述べられている。
結局、サタン・ダビデは、第六天魔王 信長により日本を支配しようとしたことが伺えます。
イザナギ・イザナミの第一の御子神が、『この国の主と成て』伊勢に鎮座したとき、第六天魔王が現れた。
魔王は、この日本の国に仏法が広まると力を失うという理由から、天照大神の働きを妨害しようとした。
そこで天照大神は、魔王に
「私は仏・法・僧の三宝には近づかない」
と誓った。
魔王は怒りを鎮め、その血で契約書を書き、天照大神に手渡した。
「世界が滅び去るまで天照大神の末裔をこの国の主とする。
もし、天皇の命に従わず、国を乱し、人民を苦しめるものがあれば、魔王の眷属が必ず罰を与え、死をもって報いさせよう」。
(『太平記』)
天照大神が大海の底にある大日如来の印文を鉾で探ったとき、第六天魔王が
「鉾のしたたりが国となって仏法を流布する相がある」
といって、大御神を攻め殺すために現れた。
そこで大御神は
「われ三宝の名をも言わじ、わが身にも近づけじ、とくとく帰り上がりたまへ」
といって魔王を帰した。
(『沙石集』)
さらに、日本の神楽の演目『八幡』の中に、悪魔「第六天魔王」が、宇佐八幡宮に祀られる「八幡神」に退治されるという物語がある。
八幡神は、神通の弓と方便の矢をもって滅ぼすという。
宇佐八幡宮によれば、八幡大神の御名は「応神天皇(誉田別尊)」とあり、継体天皇の父は応神天皇5世の孫に当たり、近江に本拠を持ち、母は越国の人だった。
住吉大社の「神代記」には、誉田別尊は、仲哀天皇の子では無く、住吉大神の子とある。
また、応神天皇が名前を交換した気比神社の主神は、航海安全と水産漁業の隆昌のイザサワケ大神で、住吉大社と同じ海神である。
つまり、織田信長は、海神・住吉大神=秦氏一族により滅ぼされたという意味だ。
応神天皇にも関連のある渡来人である秦氏に関して、武士の政治を終わらせた明治維新にもその血筋が流れていた。
信濃の秦能俊氏は、平安末期、土佐の長岡郡宗我部郷に入り、鎌倉時代に地頭として発達し、戦国時代に土佐を統一した。
薩摩の島津氏は、秦氏の末裔としての意識が強く、関ヶ原の合戦に敗れ、薩摩に強大な秦王国(隋書倭人伝にある『秦王国』は豊前地方のこの地にあったのだと言われている)を築きあげてきた。
長宗我部氏とゆかりが強い明智光秀をルーツとするといわれる坂本龍馬もまた、おそらく秦一族だったのであろうと推測されている。
つまり、現天皇家の祖神が、秦氏の血を引く明智光秀に命じて、秦一族である織田信長を許さなかった。
しかも、秦氏の血を引く坂本龍馬は、薩長連合を実現し、幕府の大政奉還を実現させた。
織田信長の死後、徳川家康は大坂夏の陣で豊臣家を完全に滅亡させ、偶像崇拝の仏教をそのままに、下克上を伴う戦乱よりも日本式儒教精神に基づく、徳川家の安泰と国家平和を目指し、天皇家を従わせる形で国家統一を成功させた。
長い平和の後、四方を海で囲まれた日本は、黒船により何処からでも武力侵略される脅威に晒された。
この脅威を取り除き、日本の存続のために明治維新が断行されました。
つまり平安時代のように秦氏が支援する明治の体制が実現されたのです。
この結果、坂本龍馬は暗殺された。
当時の武器商人グラバーのグラバー商会は、日本の内戦が大政奉還により終結したことにより、明治三年倒産した。
それは明治維新で各藩の財政事情は苦しくなり、商会が大量に買い付けた武器と戦艦が大量に売れ残り、長崎の倉庫に山積みとなったためだった。
つまり米国の南北戦争のような泥沼に至らず、欧米列強は日本に介入できず、植民地化する絶好のチャンスを失ってしまった。
欧州の手先である武器商人が、龍馬を暗殺したと推測する説もありますが、真実は今後の検証を待つしかありません。
同様に、西郷隆盛を挑発し西南戦争を引き起こさせたのもまた、武器商人にからむ者達なのかもしれません。
◇
猿は太陽と関連しており、猿は日(太陽)の使いとされ、日吉(ヒエ 日枝)神社では神聖視されている。
一説には、「神」の字に「申」が入っていることにも関連しているのかも知れないと云われています。
日吉大社の復興に貢献した秀吉が、後に経歴に箔を付けるために、幼少期の名前を「猿」、日吉丸の名を付けたとも云われています。
また、天宇受売命の子孫が猿女君で、伊勢の氏族で、朝廷祭祀の舞などに奉仕する女を猿女という。
このことから、秀吉は自らの出生を、秦氏と並ぶ朝廷祭祀の氏族として世間に認めさせたかったのでしょう。
◇
イエスの時代の納骨と日本の納骨堂の様式が似ていることからも、
ユダ一族の血流はもしかしたら、青森の八戸、戸来村に、たどり着いたのかもしれない、
ということが言えるのです。
◇
日本には、表門と裏門があります。
太陽「○」の裏門は、亀の甲羅型の六角紋です。
イエスの墓には「○」があり、妻マリアの棺桶には「六角紋」が明確に掘り込まれています。
そこで、思い出されるのが、カゴメの歌です。
籠の中の鳥を救世主とすれば、この歌で救世主が飛び出るのは、鶴と亀が結ばれるときです。
結ばれるときが、救世主の誕生です。
しかし、この預言の真意は、鶴は太陽神、亀はその神妻で、このお二人が結ばれる、つまり正式に御結婚される時、
救世主が籠から飛び出ると言う意味だと思われます。
ですから、カゴメ歌で、手をつないで円状に取り囲んでいるのは、天の神々を意味しているのではないでしょうか。
私達日本人が意味も分からずに歌い続けてきた歌謡の中に、ダニエル書を完結するものとして、人類の救世主預言が秘められていたのです。
◆カゴメ歌について
カゴメ歌の特徴は、繰り返しと反語の対が多いことだ。
カゴメ、カゴメと二度繰り返される。
そして、「夜明け」と「晩」、
「後ろ」と「正面」のように、
表裏の関係が繰り返される。
鶴は「太陽」の象徴で、
亀は鶴の裏紋なので「月」とすれば、
これも表と裏の関係が繰り返されている。
カゴメ歌の謎かけ問答の答えは、籠の中の鳥が、出てくるタイミングと、その名前を当てることだ。
カゴメをイスラエルとすれば、二つのイスラエルは、表と裏の2種類のイスラエルを意味する。
また、籠はモーセの籠、鳥は救いを意味するとすれば、この鳥は救世主=メシアである。
このように推理すると、カゴメの歌は、下記のように解釈される。
カゴメ カゴメ
表のイスラエル=イスラエル
裏のイスラエル=日本
籠の中の鳥はいついつでやる
救世主はいつ現れる
夜明けの晩に
夜明け(太陽) 晩(月)
鶴と亀がすべった
鶴は太陽の象徴
亀は太陽の裏紋で月の象徴
もしくは、
太陽神 神妻
後ろの正面だあれ
太陽の後ろで、月の正面に居るのは誰?
それでは、太陽の後ろ、月の前に挟まれているのは、誰なのだろうか。
ヒントは、エジプトと日本神話の中にあった。
エジプトでも日本でも、
右目が太陽で、左目が月とされる。
つまり、太陽(天照大神)の後ろで、
月(月夜尊)の前は、鼻である。
古事記では、スサノオ尊のことである。
更に、イスラエルの太陽で思い出されるのは、義の太陽のイエス。
であれば、月は母マリアに相当する。
また、神を男性として、イスラエルを月や女性として表すことが多くある。
「娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。」
(ゼカリア書 9章9)
だとすれば、「鶴と亀がすべった」には複数の解釈が可能になりますが、いずれも成就しており、すでに過去の物語です。
ここで「すべった」の意味は当地の方言では、「むすばれる」の意味だという点にご注意下さい。
案1.イスラエルと日本が結ばれるときに、救世主スサノオが現れる。
旧約聖書の預言と同じで、
古代日本においてエフライム族とユダ族が合流しており、すでに成就しています。
「神である主はこう仰せられる。
見よ。
わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖(注:王権のこと)と、
それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、私の手の中で一つとする」
(エゼキエル書 三七章 十九)
案2.太陽神ミカエルと神妻が、結ばれるとき、救世主が現れる。
ダニエル書12章
「その時あなたの民を守っている大いなるミカエルが立ち上がります。」
に続く預言であり、
20世紀において成就しています。
案3.もう一つは、義の太陽イエスと妻マグダラのマリアが結ばれ、その子の血流が日本において救世主スサノオとして現れる。
つまり、有名な1999年に恐怖の大王(イエスの再臨)が、日本にスサノウとして誕生するという意味ですが、これはすでに天上界により阻止されています。
尚、この場合、「夜明けの晩」の部分は、
明けの明星=ルシファーと、宵の明星=ニンフルサグを象徴していると解釈できます。