転載元 伊勢雅臣のブログ
■目隠しされた日本
戦前も戦後も情報無しの手探り状態
日本は情報無しの目隠し状態で、戦前はアメリカと戦い、戦後は中ソと対峙してきた。
◆1.ずっと自衛隊の写真を撮っていた中国の震災救援
東日本大震災では中国軍が救援に来たが、その際に彼らは何をしたのか、
こんな証言がある。
__________
(中国の救援部隊が)ずっと写真を撮っていたという話を聞きました。
自衛隊の活動の写真を望遠レンズで撮っている。
結局、これは日本人の行動様式と自衛隊の装備を撮っていたんでしょう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
被災地救援の名目でやってきて、実は自衛隊の装備などを調べる。
お人好しの日本人から見れば「まさか」としか思えないが、「渡る世間は鬼ばかり」の国際社会では不思議ではない。
ほかにも、こんな事実がある。
__________
(震災時には)中国のヘリコプターが南西方面で護衛艦に急接近したり、火事場泥棒のような出来事の連続でした。
あのとき、自衛隊の戦力の40%が災害派遣に投入され、日本がいかなる防衛体制を敷いているのか調査しに来たのですが、挑発行為は凄まじいものがありました。
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◆2.尖閣諸島でどうでるかという戦略的判断に必要な諜報活動
中国が自衛隊の戦力を調べているのは訳がある。
国内の経済的行き詰まりや党幹部の汚職、少数民族の反乱などで不満が溜まっている時に、尖閣諸島などをきっかけに対外戦闘を起こすのは、恰好のガス抜きになるからだ。
先の大戦で大敗を喫して、もう戦争はこりごりという日本人とは違って、中国の政府も人民も戦争にそれほどの拒否感はない。
1950年にのべ500万人を投入して約90万人の死傷者を出した朝鮮戦争以降も、
1962年のインドとの中印戦争、
1969年にウスリー河の中州でソ連国境警備隊と衝突した珍宝島事件、
1974年に南ベトナム軍を駆逐した西沙諸島占領作戦。
80年代にも南シナ海でベトナム海軍の輸送船を撃沈し、90年代にはフィリピンが支配していた南沙諸島を占領している。
数十人、数百人の死傷者が出ようと、この程度の事件は中国にとっては戦争というより、局地的な小競り合いとでも言うべきもので、外交の延長でしかない。
尖閣諸島においても、小競り合い程度で奪えるなら、中国は容赦しないだろう。逆に自衛隊が強くて、中国軍の面目が潰れるようなことになったら、逆効果なので手出しは控える。
そうした戦略的判断をするためにも、自衛隊がどの程度の戦力を持っているのか、について中国は諜報活動をしている訳である。
◆3.三百万の英霊たちの叫び声
こうした中国の動きに対して、いまだに「平和憲法さえ守っていれば平和は守れる」という声があるのは驚くべきことだ。
この態度からは、中国軍の戦力、意図などに関して、諜報活動をしようなどという発想が出てくるはずがない。
諜報活動に関する日本人の鈍感さが敗戦の一大要因だったと、米軍は指摘している。
昭和21(1946)年4月、米軍がまとめた『日本陸海軍の情報部について』という調査書には、次の一節がある。
__________
日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。
軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し表明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑(ないがし)ろにして、ただ攻撃あるのみを過大に強調した。
その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。
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この一文を次のように変えてみたら、現代日本も同様であることが分かるだろう。
__________
護憲平和主義が情報活動を阻害する作用をした。
護憲論者たちは、いずれも神がかり的な「平和憲法さえ守っていればどこの国も攻めてこない」という護憲平和論を繰り返し表明し、防衛を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑(ないがし)ろにして、ただ護憲あるのみを過大に強調した。
その結果彼らは中国軍に関する情報に盲目になってしまった。
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大東亜戦争中に大本営の情報参謀として従事した堀栄三氏は、戦争中に我が国が諜報活動を軽視したために、いかに困難な戦いを余儀なくされたか、を著書『大本営参謀の情報戦記』に描いている。
そのあとがきにはこうある。
__________
また本書に掲げた多数の戦場での教訓の数々は、ひたすら祖国のためにと思いながら歯をくいしばって、正確な情報に基づかない、誤れる戦略に殉じて散華していった三百万の英霊たちの叫び声に他ならない。
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12月8日の大東亜戦争開戦の日を機に、この英霊たちの叫び声に耳を傾けて見たい。
同じ過ちを現代にも繰り返さないために。
◆4.正確な地図もなく
日本陸軍は伝統的に対ソ連、中国を重視していて、情報収集や戦法研究などを対米重点に切り替えたのは、開戦後2年も経った昭和18(1943)年後半からだという。
すでにガダルカナルの戦いで、米軍の本格的な反転攻勢が始まっていた時期である。
__________
それゆえに、ニューギニヤ、ソロモン諸島方面では、正確な地図がなくてガリ版刷りの素図をもとに戦争をしたといったら、読者はびっくりするであろう。
そんな戦場へ赤紙一枚でやられたとあっては、収まるものも収まらないはずだ。
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ニューギニア島北岸は、東西1300キロにわたる長い海岸線と、2~3千メートルを越す脊梁山脈の間は、一面のジャングルに覆われた前人未踏の地である。
米軍はここを統治するオーストラリアから地誌資料を得て、
「これを支配するのは歩兵ではない。
航空以外にない」
と判断していた。
しかるに日本の大本営は、ニューギニアの地図から普通の陸地と誤認して、東部ニューギニアのブナにいた南東支隊に、脊梁山脈を越えて、南岸の都市ポートモレスビーの占領を命じた。
__________
この場合の南東支隊の敵は、米軍でもなければ濠洲(オーストラリア)軍でもなかった。
道なきジャングルとスタンレー山脈と雨期で増水した名もわからない川の氾濫であった。
そして、とうとう皆無の補給による饑餓と疲労と寒気と疫病のために、ぼろぼろになって後退を余儀なくさせられてしまった。
(中略)
作戦が中止となり、十分の一の兵員となってやっとブナに帰りついた南東支隊に、米濠軍は海の方から廻って上陸し、攻撃を加えて、玉砕に追いやっている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
多くの英霊を生んだ陰には
「正確な情報に基づかない、誤れる戦略」
があったのである。
◆5.米軍の用意周到ぶり
堀氏は、大正末期から昭和初期にかけて米国研究の第一人者・寺本熊市中将から、親しく教えられた内容を、次のように記述している。
__________
米国は大正10年以来日本との戦争を準備していた。
われわれは米国研究時代、補佐官時代からすでにそのことを指摘していた。
米国の考える戦場は、日本に対しては当然太平洋だ。
(中略)
ここで勝つには制空権以外にない。
彼らは日本の南洋委任統治領を研究していた。
小さな島の群島だ。
船以外に連絡の方法がない。
船を制するにも制空だ。
この間資源もない日本は、満洲の方を見つめて眠っていた。
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大正10(1921)年はワシントン軍縮会議が開かれ、日本の海軍戦力が、米国5に対して3と抑えられた年である。
米国は日本の海軍力を軍縮条約で抑えつつ、同時に対日戦の研究を進めていたのである。
たとえば、大正10年頃は米軍はまだ馬を使っていたが、島への上陸作戦では馬を泳がせるのも一つの方法だが、その距離は5百メートルを越えてはならない、などと規定していた。
日本軍は正確な地図もないまま、2~3千メートルの脊梁山脈を越えての攻撃を命じたが、米軍はその20年以上も前に、上陸作戦で馬を泳がせても良い距離まで調べていたのである。
◆6.堀氏の考案した対抗戦術
参謀本部で米軍に対する諜報活動の任についた堀氏は、サイパン島などの玉砕の状況を研究して、太平洋での島嶼防衛の戦術を立案した。
サイパン島では昭和19(1944)年6月12日、13日と、米軍機数百機が港湾や飛行場、陣地を空爆した。
その間に戦艦8、巡洋艦2、駆逐艦22隻が島を完全に包囲して、艦砲射撃を3日続けた。
陣地はほとんど叩きつぶされ、日本軍は15日、16日の水際での戦闘で、ほとんど壊滅的打撃を受けた。
玉砕の前日、日本軍の発した訣別の電報は堀氏にも廻ってきたが、涙なくしては読むことができなかったと言う。
堀氏は米軍が空爆と艦砲射撃で徹底的に日本軍陣地を叩いてから、上陸してくる作戦を分析し、それに対抗しうる防御戦術を考え出して、これから太平洋に転用される関東軍の精鋭部隊に説いた。
水際での早すぎる突撃は自滅する公算が多いので避けること。
大砲や機関銃などは最低2メートル以上のコンクリートで覆って艦砲射撃から守ること、島内に2重、3重に地下陣地、洞窟陣地などを準備してゲリラ戦を挑むこと、等々。
ペリリュー島守備に向かう中川州男(くにを)大佐は、堀氏の説明を熱心にメモして、質問もしてきた。
その後、ペリリュー島の守備隊は4ヶ月で米軍の艦砲射撃と爆撃に耐える強固な陣地を構築し、米軍の猛攻を73日間も持ちこたえ、逆に死傷者1万人を超える損害を与えた。
この戦法は硫黄島や沖縄でも活用され、米軍はその損害の大きさから、日本に対する無条件降伏の要求を取り下げて、終戦に至ったのである。
このような諜報活動と作戦研究がもっと以前から行われていたら、開戦当初は航空母艦数などでは太平洋に配備された米海軍を上回っていただけに、その抑止力をもってして、米国からの挑発をはねつけ、開戦に至らずに済んだ可能性すらあった。
◆7.オスプレイ配備による抑止力
日本は島国で、国境も多くの離島からなるだけに、それらをどう守るか、は戦前、戦後を問わず、防衛上の重要課題である。
特に今、尖閣諸島は中国軍の直接的な脅威にさらされている。
離島防衛に威力を発揮するとして最近登場したオスプレイは、ヘリコプターのように垂直の離着陸ができるとともに、回転翼を前面に倒してプロペラ機として高速、長距離の水平飛行ができる。
従来のヘリコプターでは作戦行動半径約150キロで、普天間基地から440キロ離れた尖閣諸島には届かない。
しかし、オスプレイは約700キロと尖閣を含む海域を十二分にカバーできる。
しかも、時速520キロで尖閣まで1時間以内に着ける。
積載量も5.7トンあり、30名程度の要員や武器を積み込める。
中国船が尖閣に上陸しようとしたら、その前に沖縄からオスプレイが出撃して、待ち構える事ができる。
これでは中国の尖閣奪取も難しくなり、無闇な手出しはできなくなる。
オスプレイは災害救助にも威力を発揮する。
昨年11月に巨大台風によって大きな被害を受けたフィリピンへ沖縄から米海兵隊のオスプレイが直接飛んで、避難民や救助物資の輸送に活躍した。
東日本大震災などでもオスプレイがあれば、もっと迅速かつ効果的な救援活動ができたはずである。
◆8.国民の目隠しをする左傾マスコミ
このオスプレイを、一部のマスコミは開発途上の事故をとりあげて、危険性を大々的に訴えて配備に反対した。
しかし、2007年に実戦配備されてからの事故率は10万時間あたり1.93回と現行ヘリコプターCH-53Dの4.15の半分以下。
安全性を言うなら、オスプレイ配備を加速すべきなのである。
尖閣防衛にも災害救助にも活用でき、現行ヘリより安全なオスプレイの配備で困るのは尖閣諸島を狙う中国だけだ。
安全性のデータも隠して、「未亡人製造機」などとプロパガンダを行う一部のマスコミは、中国の代弁者として、日本国民の目から真実を隠そうとすしているのである。
戦前の情報活動の弱さについて、我が国は反省をしてこなかっが、戦後の日本は他国の情報活動によって真実から目隠しされてきたという点で、もっと始末が悪い。
朝日新聞など左翼勢力は中ソの代弁者として、日本の防衛力強化に様々な情報活動で妨害してきた。
最近も集団的自衛権や秘密保護法に対して「戦前に戻る、戦争のできる国になる」などと反対した。
平和を守るためにこそ、中国の侵略に対する抑止力が必要なのであり、そのためには国内の左傾マスコミによる目隠しを外さなければならない。
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■今日の南沙は明日の尖閣
米軍がフィリッピンから引き揚げた途端に、中国は南沙諸島の軍事基地化を加速した。
H12.08.20
◆1.日本近海で活発化する中国海軍の活動
昨年以来、日本近海での中国海軍の活動が活発化している。
最近の動きをリストアップしてみよう。
・平成11年5月、日中間の領土問題となっている尖閣諸島の魚釣島の北方110-260キロの海域で、フリゲート艦、ミサイル護衛哨戒艇など13隻が活動。
・同7月、同海域でミサイル駆逐艦、ミサイルフリゲート艦など10隻が活動。
・12年3月、鹿児島県・奄美大島北西360キロの海域で、中国海軍のミサイル駆逐艦2隻、ミサイルフリゲート艦1隻が活動。
・平成12年5月中旬~6月上旬、中国の情報収集艦が、約3週間、日本の本州、四国、九州の周辺海域を一周、わが国の対馬海峡、津軽海峡を含む日本周辺海域の海洋調査、および各地に展開する自衛隊基地および米軍基地の通信情報の収集などを行ったと見られる。
海上自衛隊の調査では、11年度に東シナ海の日本の二百カイリ(約370キロ)の排他的経済水域内などで、中国海軍艦船は8回31隻、海洋調査船は15回23隻が発見され、増加傾向にある。
◆2.問題は尖閣諸島
日本側は国連海洋法条約に則って、領海や排他的経済水域での軍艦や調査船の活動は日本の同意なしには認められないと抗議したが、これに対して中国側は「正常の活動であり、問題はない」と相手にしていない。
問題は、中国側が日本の排他的経済水域を認めていない点だ。
日本側は日中の中間線を排他的経済水域の境界としているが、
中国側は尖閣諸島を自国領土とし、それと石垣島の境の「沖縄トラフ(海溝)」まで主権が及ぶとしている。
ここで尖閣諸島の帰属が問題となるわけだが、南シナ海での領海紛争は中国の手口を調べるのに、好適な先例である。
まず、こちらを見ておこう。
◆3.南シナ海を海上要塞化
中国最南端、海南島の南南東に、計34の小島や岩礁などからなるパラセル(西沙)諸島がある。
73年にベトナムからアメリカ軍が引き揚げた後をついて、翌年、中国は駐留していたベトナム軍を武力で排除して実効支配した。
現在は、旧式戦闘機が離着陸できる約2600mの滑走路に、衛星通信ステーションなどの通信施設まで備え、部隊が常駐する軍事基地となっている。
南シナ海の中ほどに浮かぶスプラトリー(南沙)諸島は、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾が領有権を主張している。
そのうちのジョンソン(赤瓜)環礁など6カ所を中国は1987年から88年にかけて占拠し、軍事施設を構築した。
米国がフィリピンのスービック海軍、クラーク空軍の両基地から撤退した92年以降、進出に拍車がかかる。
93年には、ペンシルベニア・ノース(陽明)環礁など6カ所に中国の建造物があることが判明した。
95年2月には、ミスチーフ環礁で中国が高床式の兵舎を建てて占拠態勢に入っていることをフィリピン政府が確認して抗議をしたが、無視された。
ミスチーフ環礁では、現在、対空砲や対艦砲、ヘリポートまで設置され、大型艦船停泊が可能な突堤も建設されたことが写真撮影されている。
フィリピンの抗議に対して、中国は「漁民の避難用施設」と強弁している。
◆4.世界で最重要のシーレーンを勢力下に
スプラトリー諸島に中国が半永久的な軍事施設を設けた結果、
海域のほぼ全体が中国監視網内に入ることになった。
中国は1992年2月に領海法を制定し、南沙諸島海域は同国の領海であり、
軍に「(同諸島周辺の)領海侵犯者を実力で退去させる権限」を与え、
外国艦船が同海域を通過するさいに中国の許可を必要とすると一方的に宣言している。
マラッカ海峡から南シナ海のスプラトリー諸島海域にかけては世界で最も重要なシーレーンといわれ、世界の貿易の15%がこの海域を通過している。
特に日本の場合、全貿易量の5割が同航路に頼っている。
中近東からの石油タンカーはこの海域を通過するので、それが中国の内海となれば、我が国のエネルギー供給は中国に首根っこを押さえつけられた格好となる。
アメリカとしても、同海域での中国の膨張を傍観していられない、という意思を持ち始めたようだ。米海軍戦略センターは米国船の通過も多く、
「海峡の自由航行は米国にとっても戦略上、最重要である」
と指摘している。
本年2月には、フィリピン軍と米軍約5千人が参加する合同軍事演習が約4年ぶりに再開された。
演習はクラーク旧米軍基地などルソン島を中心に行われるが、南沙諸島に近いパラワン島も含まれている。
中国への警告メッセージが含まれていることは明らかである。
◆5.中国が尖閣領有を主張し始めた理由
73年の米軍のベトナム撤退に合わせて西沙諸島を奪取し、92 年のフィリピンからの米軍基地撤収後、南沙諸島占拠を加速させる。
中国が恐れているのは米軍だけであり、米軍が手を引いた地域では中国が着々と手を伸ばす。
力のない他国の抗議はいっさい受けつけず、海洋調査から次第に恒久建造物構築へと進めて、実効支配に及ぶという戦術である。
このパターンは尖閣諸島でも繰り返されている。
昭和45年以前、中国が尖閣諸島を自国領土として主張したことは一度もなかった。
昭和43年秋に尖閣付近の大陸棚に膨大な海底油田が埋蔵している可能性が判明し、米国の統治下にあった沖縄が本土復帰する直前の昭和46年12月に尖閣諸島の領有権を主張し始めたのである。
実は尖閣諸島の一部は、昭和31年から昭和54年まで米軍の射撃練習場として使用されていた。
尖閣が中国領土なら、米軍の射撃練習は中国領土内で行われたことになる。
なぜそれを国際問題にしなかったのか?
これも自分より強い相手には、いっさい手も口も出さない、という中国流外交術なのである。
射撃練習の事実に関わらず、米国はこれまで「尖閣諸島の主権はどの国にも認めない」という立場をとってきたが、このあいまいさが中国の侵入を招いた。
米軍が退き、日本政府の弱腰を見透かして、冒頭のように調査船の侵入を繰り返し、ついには軍艦まで現れたのである。
◆6.尖閣領有の経緯
ここで尖閣諸島が我が国領土であるという根拠をまとめておこう。
国際法上、無人の土地は、ある国家がその領有の意思を持って、他国に先んじて領有することで、その国の領土と認められる。
これを「無主地先占」という。
尖閣諸島は沖縄とシナ大陸間の航路の標識として古くから知られていたが、無人島であった。
「中国は15世紀の地図に尖閣が領土として記されていることをもって、領有権を主張しているが、地図に線を引いても領有権は与えられない」
(Asian Wall Street Journal, 96.10.05) 。
明治18(1885)年、尖閣諸島を沖縄県の管轄とし、国標を建設したいとする申請が沖縄県知事から出され、政府は明治20年と25年に軍艦を派遣して調査を行い、同諸島にいかなる国の支配も及んでいないことを確認した上で、28年1月に沖縄県知事の上申通り閣議決定した。
尖閣諸島は、日清戦争の結果、台湾とともに日本に割譲されたという主張があるが、日清講和条約締結は28年4月であり、これは事実ではない。
◆7.99戸が定住して開拓事業
明治17年以来、尖閣の島々で漁業を営んでいた古賀辰四郎氏に対し、尖閣領有の閣議決定後、30年間の無償寄与が認可された。
古賀氏は魚釣島と久場島に、家屋、貯水使節、船着場、桟橋などを構築し、植林や60余町歩の開墾を行った。
明治42年には99戸248人の移民が定住して開拓事業に従事している。
昭和7年には、古賀氏に対して、政府は4島を有償で払下げした。
これらの住居跡や船着場は今も遺されている。
大正9年、中国福建省の漁民31名を乗せた漁船が尖閣付近で遭難し、魚釣島に漂着した。
古賀善次氏(辰四郎の子息)は これを救助し、石垣島に曳航。石垣島の役人が乗員を手当し、船を修理して、無事帰国させた。翌年中華民国から、石垣島村長や古賀善次氏らに対する感謝状が寄せられた。
この感謝状には、「日本帝国八重山郡尖閣諸島」と明記され、当時の中華民国政府が尖閣諸島を日本領土として正式に認めていたことの動かぬ証拠となっている。
これに対して、尖閣諸島に今まで中国人が住んだ事実はなく、 また昭和45年以前に尖閣領有を主張したこともない。
これらの事実から、国際法上、尖閣諸島が我が国領土であることはあきらかである。
◆8.着々と進む油田開発
東シナ海には一説にはペルシア湾に匹敵するほどの豊富な石油資源が眠っていると考えられている。
そして日中中間線を挟んだ海域がもっとも資源量が豊富であり、特に日本側海域の方が有望視されている。
中国は本年2月に、中間線の数キロ中国寄りの海域で試掘に成功し、天然ガス日量143万立方m、原油88万立方mが確認されている。
これだけで九州、沖縄地方の家庭用燃料を十分に賄える量である。
すでに95年12月には中間線の日本側海域に570m入った地点で、わが国政府の中止勧告を無視して試掘を行い、翌年2月中旬、石油・ガスの自噴を確認している。
中国政府は尖閣列島を自国領土とする立場から、この日中中間線を認めていないので、この日本側海域でいつ正規の採掘施設の建造に着手しても不思議ではない。
いったん採掘施設が完成し、付近を中国の海軍が防御するような事態になったら、日本側は手も足も出なくなる。
すでに東 海艦隊の高速ミサイル艇部隊が、東シナ海で軍事演習を繰り返している。
わが国政府は中国との面倒な政治問題に関わりたくない、石油は中東で十分との考えのようで、日本の4企業が鉱区を設定し、先願権を持っているが、日本政府が許可を与えていないので、日本側海域での試掘はもとより探査すら行われていない。
さらに尖閣は、台湾と沖縄の中間地点にある。
万一、ここに軍事基地を作られたら、台湾は東西から中国の軍事基地に挟まれた形となる。
また我が国へのエネルギー、物資輸送の大動脈がここでも中国に牛耳られることになる。
◆9.中国に学ぶ領海防衛術
尖閣列島を中国流浸食術から護るためには、どうすれば良いのか?
国際法上は我が国の立場の方がはるかに強いので、あとは防御手段の問題である。
そこは調査船-軍艦-恒久的構造物建設という中国流浸食術に学べばよい。
第一に尖閣諸島付近の海洋調査や、自衛隊艦船の演習を活発化する。
フィリッピンと同様に、米国第7艦隊との共同演習なども牽制効果が大きいであろう。
第二に尖閣列島での実効支配を進める。96年6月に日本青年社が地元漁民の協力を得て灯台建設をした時に、日本政府は 中国政府からの抗議に屈して、正式灯台として認可しなかった。
もしそうしていれば、世界各国の海図に日本の灯台として記載され、日本の尖閣実効支配を世界にアピールできたのである。
灯台だけでなく、警官の常駐、漁民の保護施設建設など、定住と開発を政府が進めるべきである。
第三に、中間線の日本側での油田開発を早急に進める。
それは我が国のエネルギー供給の対外依存度を下げ、経済の安定性、独立性を高めることにも貢献する。
こうしたアプローチに対して、当然中国は猛烈な抗議をしてくるだろう。
そこで初めて国際法上、尖閣はどちらの領土か、中国側を議論のテーブルにつかせることができる。
もっとも勝ち目のない議論に乗ってこない可能性も十分あるが。
◆10.逃げ腰は危険
理性的な議論ではなく、恫喝や罵倒で攻めてきたら、ODA見直しをもって警告することである。
そもそもODA大綱では
「軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分、注意を払う」
と定められており、こうした行為を行っている中国には本来提供されてはならないものだ。
日本側が対中ODA見直しを言い出した途端に、中国があわてて感謝式典を行ったり、森首相の神の国発言の際も従来とはうって変わって、声高な批判を抑制していた。
ODA見直しは中国が最も恐れている我が国の切り札なのである。
南沙でも、尖閣でも、米軍が近くにいた時には、中国政府はおとなしくしていた事を思い起こそう。
相手が強ければ静かにしており、弱ければ傍若無人に振る舞う、というのが中国の外交パターンである。
「事を荒立てたくない、相手を刺激したくない」という日本政府の逃げ腰の態度は、中国側にさらに一歩進んでもよいという誤ったシグナルを送る事になり、今日の南沙を明日の尖閣にする最も危険なアプローチなのである。
■目隠しされた日本
戦前も戦後も情報無しの手探り状態
日本は情報無しの目隠し状態で、戦前はアメリカと戦い、戦後は中ソと対峙してきた。
◆1.ずっと自衛隊の写真を撮っていた中国の震災救援
東日本大震災では中国軍が救援に来たが、その際に彼らは何をしたのか、
こんな証言がある。
__________
(中国の救援部隊が)ずっと写真を撮っていたという話を聞きました。
自衛隊の活動の写真を望遠レンズで撮っている。
結局、これは日本人の行動様式と自衛隊の装備を撮っていたんでしょう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
被災地救援の名目でやってきて、実は自衛隊の装備などを調べる。
お人好しの日本人から見れば「まさか」としか思えないが、「渡る世間は鬼ばかり」の国際社会では不思議ではない。
ほかにも、こんな事実がある。
__________
(震災時には)中国のヘリコプターが南西方面で護衛艦に急接近したり、火事場泥棒のような出来事の連続でした。
あのとき、自衛隊の戦力の40%が災害派遣に投入され、日本がいかなる防衛体制を敷いているのか調査しに来たのですが、挑発行為は凄まじいものがありました。
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◆2.尖閣諸島でどうでるかという戦略的判断に必要な諜報活動
中国が自衛隊の戦力を調べているのは訳がある。
国内の経済的行き詰まりや党幹部の汚職、少数民族の反乱などで不満が溜まっている時に、尖閣諸島などをきっかけに対外戦闘を起こすのは、恰好のガス抜きになるからだ。
先の大戦で大敗を喫して、もう戦争はこりごりという日本人とは違って、中国の政府も人民も戦争にそれほどの拒否感はない。
1950年にのべ500万人を投入して約90万人の死傷者を出した朝鮮戦争以降も、
1962年のインドとの中印戦争、
1969年にウスリー河の中州でソ連国境警備隊と衝突した珍宝島事件、
1974年に南ベトナム軍を駆逐した西沙諸島占領作戦。
80年代にも南シナ海でベトナム海軍の輸送船を撃沈し、90年代にはフィリピンが支配していた南沙諸島を占領している。
数十人、数百人の死傷者が出ようと、この程度の事件は中国にとっては戦争というより、局地的な小競り合いとでも言うべきもので、外交の延長でしかない。
尖閣諸島においても、小競り合い程度で奪えるなら、中国は容赦しないだろう。逆に自衛隊が強くて、中国軍の面目が潰れるようなことになったら、逆効果なので手出しは控える。
そうした戦略的判断をするためにも、自衛隊がどの程度の戦力を持っているのか、について中国は諜報活動をしている訳である。
◆3.三百万の英霊たちの叫び声
こうした中国の動きに対して、いまだに「平和憲法さえ守っていれば平和は守れる」という声があるのは驚くべきことだ。
この態度からは、中国軍の戦力、意図などに関して、諜報活動をしようなどという発想が出てくるはずがない。
諜報活動に関する日本人の鈍感さが敗戦の一大要因だったと、米軍は指摘している。
昭和21(1946)年4月、米軍がまとめた『日本陸海軍の情報部について』という調査書には、次の一節がある。
__________
日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。
軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し表明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑(ないがし)ろにして、ただ攻撃あるのみを過大に強調した。
その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。
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この一文を次のように変えてみたら、現代日本も同様であることが分かるだろう。
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護憲平和主義が情報活動を阻害する作用をした。
護憲論者たちは、いずれも神がかり的な「平和憲法さえ守っていればどこの国も攻めてこない」という護憲平和論を繰り返し表明し、防衛を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑(ないがし)ろにして、ただ護憲あるのみを過大に強調した。
その結果彼らは中国軍に関する情報に盲目になってしまった。
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大東亜戦争中に大本営の情報参謀として従事した堀栄三氏は、戦争中に我が国が諜報活動を軽視したために、いかに困難な戦いを余儀なくされたか、を著書『大本営参謀の情報戦記』に描いている。
そのあとがきにはこうある。
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また本書に掲げた多数の戦場での教訓の数々は、ひたすら祖国のためにと思いながら歯をくいしばって、正確な情報に基づかない、誤れる戦略に殉じて散華していった三百万の英霊たちの叫び声に他ならない。
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12月8日の大東亜戦争開戦の日を機に、この英霊たちの叫び声に耳を傾けて見たい。
同じ過ちを現代にも繰り返さないために。
◆4.正確な地図もなく
日本陸軍は伝統的に対ソ連、中国を重視していて、情報収集や戦法研究などを対米重点に切り替えたのは、開戦後2年も経った昭和18(1943)年後半からだという。
すでにガダルカナルの戦いで、米軍の本格的な反転攻勢が始まっていた時期である。
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それゆえに、ニューギニヤ、ソロモン諸島方面では、正確な地図がなくてガリ版刷りの素図をもとに戦争をしたといったら、読者はびっくりするであろう。
そんな戦場へ赤紙一枚でやられたとあっては、収まるものも収まらないはずだ。
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ニューギニア島北岸は、東西1300キロにわたる長い海岸線と、2~3千メートルを越す脊梁山脈の間は、一面のジャングルに覆われた前人未踏の地である。
米軍はここを統治するオーストラリアから地誌資料を得て、
「これを支配するのは歩兵ではない。
航空以外にない」
と判断していた。
しかるに日本の大本営は、ニューギニアの地図から普通の陸地と誤認して、東部ニューギニアのブナにいた南東支隊に、脊梁山脈を越えて、南岸の都市ポートモレスビーの占領を命じた。
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この場合の南東支隊の敵は、米軍でもなければ濠洲(オーストラリア)軍でもなかった。
道なきジャングルとスタンレー山脈と雨期で増水した名もわからない川の氾濫であった。
そして、とうとう皆無の補給による饑餓と疲労と寒気と疫病のために、ぼろぼろになって後退を余儀なくさせられてしまった。
(中略)
作戦が中止となり、十分の一の兵員となってやっとブナに帰りついた南東支隊に、米濠軍は海の方から廻って上陸し、攻撃を加えて、玉砕に追いやっている。
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多くの英霊を生んだ陰には
「正確な情報に基づかない、誤れる戦略」
があったのである。
◆5.米軍の用意周到ぶり
堀氏は、大正末期から昭和初期にかけて米国研究の第一人者・寺本熊市中将から、親しく教えられた内容を、次のように記述している。
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米国は大正10年以来日本との戦争を準備していた。
われわれは米国研究時代、補佐官時代からすでにそのことを指摘していた。
米国の考える戦場は、日本に対しては当然太平洋だ。
(中略)
ここで勝つには制空権以外にない。
彼らは日本の南洋委任統治領を研究していた。
小さな島の群島だ。
船以外に連絡の方法がない。
船を制するにも制空だ。
この間資源もない日本は、満洲の方を見つめて眠っていた。
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大正10(1921)年はワシントン軍縮会議が開かれ、日本の海軍戦力が、米国5に対して3と抑えられた年である。
米国は日本の海軍力を軍縮条約で抑えつつ、同時に対日戦の研究を進めていたのである。
たとえば、大正10年頃は米軍はまだ馬を使っていたが、島への上陸作戦では馬を泳がせるのも一つの方法だが、その距離は5百メートルを越えてはならない、などと規定していた。
日本軍は正確な地図もないまま、2~3千メートルの脊梁山脈を越えての攻撃を命じたが、米軍はその20年以上も前に、上陸作戦で馬を泳がせても良い距離まで調べていたのである。
◆6.堀氏の考案した対抗戦術
参謀本部で米軍に対する諜報活動の任についた堀氏は、サイパン島などの玉砕の状況を研究して、太平洋での島嶼防衛の戦術を立案した。
サイパン島では昭和19(1944)年6月12日、13日と、米軍機数百機が港湾や飛行場、陣地を空爆した。
その間に戦艦8、巡洋艦2、駆逐艦22隻が島を完全に包囲して、艦砲射撃を3日続けた。
陣地はほとんど叩きつぶされ、日本軍は15日、16日の水際での戦闘で、ほとんど壊滅的打撃を受けた。
玉砕の前日、日本軍の発した訣別の電報は堀氏にも廻ってきたが、涙なくしては読むことができなかったと言う。
堀氏は米軍が空爆と艦砲射撃で徹底的に日本軍陣地を叩いてから、上陸してくる作戦を分析し、それに対抗しうる防御戦術を考え出して、これから太平洋に転用される関東軍の精鋭部隊に説いた。
水際での早すぎる突撃は自滅する公算が多いので避けること。
大砲や機関銃などは最低2メートル以上のコンクリートで覆って艦砲射撃から守ること、島内に2重、3重に地下陣地、洞窟陣地などを準備してゲリラ戦を挑むこと、等々。
ペリリュー島守備に向かう中川州男(くにを)大佐は、堀氏の説明を熱心にメモして、質問もしてきた。
その後、ペリリュー島の守備隊は4ヶ月で米軍の艦砲射撃と爆撃に耐える強固な陣地を構築し、米軍の猛攻を73日間も持ちこたえ、逆に死傷者1万人を超える損害を与えた。
この戦法は硫黄島や沖縄でも活用され、米軍はその損害の大きさから、日本に対する無条件降伏の要求を取り下げて、終戦に至ったのである。
このような諜報活動と作戦研究がもっと以前から行われていたら、開戦当初は航空母艦数などでは太平洋に配備された米海軍を上回っていただけに、その抑止力をもってして、米国からの挑発をはねつけ、開戦に至らずに済んだ可能性すらあった。
◆7.オスプレイ配備による抑止力
日本は島国で、国境も多くの離島からなるだけに、それらをどう守るか、は戦前、戦後を問わず、防衛上の重要課題である。
特に今、尖閣諸島は中国軍の直接的な脅威にさらされている。
離島防衛に威力を発揮するとして最近登場したオスプレイは、ヘリコプターのように垂直の離着陸ができるとともに、回転翼を前面に倒してプロペラ機として高速、長距離の水平飛行ができる。
従来のヘリコプターでは作戦行動半径約150キロで、普天間基地から440キロ離れた尖閣諸島には届かない。
しかし、オスプレイは約700キロと尖閣を含む海域を十二分にカバーできる。
しかも、時速520キロで尖閣まで1時間以内に着ける。
積載量も5.7トンあり、30名程度の要員や武器を積み込める。
中国船が尖閣に上陸しようとしたら、その前に沖縄からオスプレイが出撃して、待ち構える事ができる。
これでは中国の尖閣奪取も難しくなり、無闇な手出しはできなくなる。
オスプレイは災害救助にも威力を発揮する。
昨年11月に巨大台風によって大きな被害を受けたフィリピンへ沖縄から米海兵隊のオスプレイが直接飛んで、避難民や救助物資の輸送に活躍した。
東日本大震災などでもオスプレイがあれば、もっと迅速かつ効果的な救援活動ができたはずである。
◆8.国民の目隠しをする左傾マスコミ
このオスプレイを、一部のマスコミは開発途上の事故をとりあげて、危険性を大々的に訴えて配備に反対した。
しかし、2007年に実戦配備されてからの事故率は10万時間あたり1.93回と現行ヘリコプターCH-53Dの4.15の半分以下。
安全性を言うなら、オスプレイ配備を加速すべきなのである。
尖閣防衛にも災害救助にも活用でき、現行ヘリより安全なオスプレイの配備で困るのは尖閣諸島を狙う中国だけだ。
安全性のデータも隠して、「未亡人製造機」などとプロパガンダを行う一部のマスコミは、中国の代弁者として、日本国民の目から真実を隠そうとすしているのである。
戦前の情報活動の弱さについて、我が国は反省をしてこなかっが、戦後の日本は他国の情報活動によって真実から目隠しされてきたという点で、もっと始末が悪い。
朝日新聞など左翼勢力は中ソの代弁者として、日本の防衛力強化に様々な情報活動で妨害してきた。
最近も集団的自衛権や秘密保護法に対して「戦前に戻る、戦争のできる国になる」などと反対した。
平和を守るためにこそ、中国の侵略に対する抑止力が必要なのであり、そのためには国内の左傾マスコミによる目隠しを外さなければならない。
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■今日の南沙は明日の尖閣
米軍がフィリッピンから引き揚げた途端に、中国は南沙諸島の軍事基地化を加速した。
H12.08.20
◆1.日本近海で活発化する中国海軍の活動
昨年以来、日本近海での中国海軍の活動が活発化している。
最近の動きをリストアップしてみよう。
・平成11年5月、日中間の領土問題となっている尖閣諸島の魚釣島の北方110-260キロの海域で、フリゲート艦、ミサイル護衛哨戒艇など13隻が活動。
・同7月、同海域でミサイル駆逐艦、ミサイルフリゲート艦など10隻が活動。
・12年3月、鹿児島県・奄美大島北西360キロの海域で、中国海軍のミサイル駆逐艦2隻、ミサイルフリゲート艦1隻が活動。
・平成12年5月中旬~6月上旬、中国の情報収集艦が、約3週間、日本の本州、四国、九州の周辺海域を一周、わが国の対馬海峡、津軽海峡を含む日本周辺海域の海洋調査、および各地に展開する自衛隊基地および米軍基地の通信情報の収集などを行ったと見られる。
海上自衛隊の調査では、11年度に東シナ海の日本の二百カイリ(約370キロ)の排他的経済水域内などで、中国海軍艦船は8回31隻、海洋調査船は15回23隻が発見され、増加傾向にある。
◆2.問題は尖閣諸島
日本側は国連海洋法条約に則って、領海や排他的経済水域での軍艦や調査船の活動は日本の同意なしには認められないと抗議したが、これに対して中国側は「正常の活動であり、問題はない」と相手にしていない。
問題は、中国側が日本の排他的経済水域を認めていない点だ。
日本側は日中の中間線を排他的経済水域の境界としているが、
中国側は尖閣諸島を自国領土とし、それと石垣島の境の「沖縄トラフ(海溝)」まで主権が及ぶとしている。
ここで尖閣諸島の帰属が問題となるわけだが、南シナ海での領海紛争は中国の手口を調べるのに、好適な先例である。
まず、こちらを見ておこう。
◆3.南シナ海を海上要塞化
中国最南端、海南島の南南東に、計34の小島や岩礁などからなるパラセル(西沙)諸島がある。
73年にベトナムからアメリカ軍が引き揚げた後をついて、翌年、中国は駐留していたベトナム軍を武力で排除して実効支配した。
現在は、旧式戦闘機が離着陸できる約2600mの滑走路に、衛星通信ステーションなどの通信施設まで備え、部隊が常駐する軍事基地となっている。
南シナ海の中ほどに浮かぶスプラトリー(南沙)諸島は、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾が領有権を主張している。
そのうちのジョンソン(赤瓜)環礁など6カ所を中国は1987年から88年にかけて占拠し、軍事施設を構築した。
米国がフィリピンのスービック海軍、クラーク空軍の両基地から撤退した92年以降、進出に拍車がかかる。
93年には、ペンシルベニア・ノース(陽明)環礁など6カ所に中国の建造物があることが判明した。
95年2月には、ミスチーフ環礁で中国が高床式の兵舎を建てて占拠態勢に入っていることをフィリピン政府が確認して抗議をしたが、無視された。
ミスチーフ環礁では、現在、対空砲や対艦砲、ヘリポートまで設置され、大型艦船停泊が可能な突堤も建設されたことが写真撮影されている。
フィリピンの抗議に対して、中国は「漁民の避難用施設」と強弁している。
◆4.世界で最重要のシーレーンを勢力下に
スプラトリー諸島に中国が半永久的な軍事施設を設けた結果、
海域のほぼ全体が中国監視網内に入ることになった。
中国は1992年2月に領海法を制定し、南沙諸島海域は同国の領海であり、
軍に「(同諸島周辺の)領海侵犯者を実力で退去させる権限」を与え、
外国艦船が同海域を通過するさいに中国の許可を必要とすると一方的に宣言している。
マラッカ海峡から南シナ海のスプラトリー諸島海域にかけては世界で最も重要なシーレーンといわれ、世界の貿易の15%がこの海域を通過している。
特に日本の場合、全貿易量の5割が同航路に頼っている。
中近東からの石油タンカーはこの海域を通過するので、それが中国の内海となれば、我が国のエネルギー供給は中国に首根っこを押さえつけられた格好となる。
アメリカとしても、同海域での中国の膨張を傍観していられない、という意思を持ち始めたようだ。米海軍戦略センターは米国船の通過も多く、
「海峡の自由航行は米国にとっても戦略上、最重要である」
と指摘している。
本年2月には、フィリピン軍と米軍約5千人が参加する合同軍事演習が約4年ぶりに再開された。
演習はクラーク旧米軍基地などルソン島を中心に行われるが、南沙諸島に近いパラワン島も含まれている。
中国への警告メッセージが含まれていることは明らかである。
◆5.中国が尖閣領有を主張し始めた理由
73年の米軍のベトナム撤退に合わせて西沙諸島を奪取し、92 年のフィリピンからの米軍基地撤収後、南沙諸島占拠を加速させる。
中国が恐れているのは米軍だけであり、米軍が手を引いた地域では中国が着々と手を伸ばす。
力のない他国の抗議はいっさい受けつけず、海洋調査から次第に恒久建造物構築へと進めて、実効支配に及ぶという戦術である。
このパターンは尖閣諸島でも繰り返されている。
昭和45年以前、中国が尖閣諸島を自国領土として主張したことは一度もなかった。
昭和43年秋に尖閣付近の大陸棚に膨大な海底油田が埋蔵している可能性が判明し、米国の統治下にあった沖縄が本土復帰する直前の昭和46年12月に尖閣諸島の領有権を主張し始めたのである。
実は尖閣諸島の一部は、昭和31年から昭和54年まで米軍の射撃練習場として使用されていた。
尖閣が中国領土なら、米軍の射撃練習は中国領土内で行われたことになる。
なぜそれを国際問題にしなかったのか?
これも自分より強い相手には、いっさい手も口も出さない、という中国流外交術なのである。
射撃練習の事実に関わらず、米国はこれまで「尖閣諸島の主権はどの国にも認めない」という立場をとってきたが、このあいまいさが中国の侵入を招いた。
米軍が退き、日本政府の弱腰を見透かして、冒頭のように調査船の侵入を繰り返し、ついには軍艦まで現れたのである。
◆6.尖閣領有の経緯
ここで尖閣諸島が我が国領土であるという根拠をまとめておこう。
国際法上、無人の土地は、ある国家がその領有の意思を持って、他国に先んじて領有することで、その国の領土と認められる。
これを「無主地先占」という。
尖閣諸島は沖縄とシナ大陸間の航路の標識として古くから知られていたが、無人島であった。
「中国は15世紀の地図に尖閣が領土として記されていることをもって、領有権を主張しているが、地図に線を引いても領有権は与えられない」
(Asian Wall Street Journal, 96.10.05) 。
明治18(1885)年、尖閣諸島を沖縄県の管轄とし、国標を建設したいとする申請が沖縄県知事から出され、政府は明治20年と25年に軍艦を派遣して調査を行い、同諸島にいかなる国の支配も及んでいないことを確認した上で、28年1月に沖縄県知事の上申通り閣議決定した。
尖閣諸島は、日清戦争の結果、台湾とともに日本に割譲されたという主張があるが、日清講和条約締結は28年4月であり、これは事実ではない。
◆7.99戸が定住して開拓事業
明治17年以来、尖閣の島々で漁業を営んでいた古賀辰四郎氏に対し、尖閣領有の閣議決定後、30年間の無償寄与が認可された。
古賀氏は魚釣島と久場島に、家屋、貯水使節、船着場、桟橋などを構築し、植林や60余町歩の開墾を行った。
明治42年には99戸248人の移民が定住して開拓事業に従事している。
昭和7年には、古賀氏に対して、政府は4島を有償で払下げした。
これらの住居跡や船着場は今も遺されている。
大正9年、中国福建省の漁民31名を乗せた漁船が尖閣付近で遭難し、魚釣島に漂着した。
古賀善次氏(辰四郎の子息)は これを救助し、石垣島に曳航。石垣島の役人が乗員を手当し、船を修理して、無事帰国させた。翌年中華民国から、石垣島村長や古賀善次氏らに対する感謝状が寄せられた。
この感謝状には、「日本帝国八重山郡尖閣諸島」と明記され、当時の中華民国政府が尖閣諸島を日本領土として正式に認めていたことの動かぬ証拠となっている。
これに対して、尖閣諸島に今まで中国人が住んだ事実はなく、 また昭和45年以前に尖閣領有を主張したこともない。
これらの事実から、国際法上、尖閣諸島が我が国領土であることはあきらかである。
◆8.着々と進む油田開発
東シナ海には一説にはペルシア湾に匹敵するほどの豊富な石油資源が眠っていると考えられている。
そして日中中間線を挟んだ海域がもっとも資源量が豊富であり、特に日本側海域の方が有望視されている。
中国は本年2月に、中間線の数キロ中国寄りの海域で試掘に成功し、天然ガス日量143万立方m、原油88万立方mが確認されている。
これだけで九州、沖縄地方の家庭用燃料を十分に賄える量である。
すでに95年12月には中間線の日本側海域に570m入った地点で、わが国政府の中止勧告を無視して試掘を行い、翌年2月中旬、石油・ガスの自噴を確認している。
中国政府は尖閣列島を自国領土とする立場から、この日中中間線を認めていないので、この日本側海域でいつ正規の採掘施設の建造に着手しても不思議ではない。
いったん採掘施設が完成し、付近を中国の海軍が防御するような事態になったら、日本側は手も足も出なくなる。
すでに東 海艦隊の高速ミサイル艇部隊が、東シナ海で軍事演習を繰り返している。
わが国政府は中国との面倒な政治問題に関わりたくない、石油は中東で十分との考えのようで、日本の4企業が鉱区を設定し、先願権を持っているが、日本政府が許可を与えていないので、日本側海域での試掘はもとより探査すら行われていない。
さらに尖閣は、台湾と沖縄の中間地点にある。
万一、ここに軍事基地を作られたら、台湾は東西から中国の軍事基地に挟まれた形となる。
また我が国へのエネルギー、物資輸送の大動脈がここでも中国に牛耳られることになる。
◆9.中国に学ぶ領海防衛術
尖閣列島を中国流浸食術から護るためには、どうすれば良いのか?
国際法上は我が国の立場の方がはるかに強いので、あとは防御手段の問題である。
そこは調査船-軍艦-恒久的構造物建設という中国流浸食術に学べばよい。
第一に尖閣諸島付近の海洋調査や、自衛隊艦船の演習を活発化する。
フィリッピンと同様に、米国第7艦隊との共同演習なども牽制効果が大きいであろう。
第二に尖閣列島での実効支配を進める。96年6月に日本青年社が地元漁民の協力を得て灯台建設をした時に、日本政府は 中国政府からの抗議に屈して、正式灯台として認可しなかった。
もしそうしていれば、世界各国の海図に日本の灯台として記載され、日本の尖閣実効支配を世界にアピールできたのである。
灯台だけでなく、警官の常駐、漁民の保護施設建設など、定住と開発を政府が進めるべきである。
第三に、中間線の日本側での油田開発を早急に進める。
それは我が国のエネルギー供給の対外依存度を下げ、経済の安定性、独立性を高めることにも貢献する。
こうしたアプローチに対して、当然中国は猛烈な抗議をしてくるだろう。
そこで初めて国際法上、尖閣はどちらの領土か、中国側を議論のテーブルにつかせることができる。
もっとも勝ち目のない議論に乗ってこない可能性も十分あるが。
◆10.逃げ腰は危険
理性的な議論ではなく、恫喝や罵倒で攻めてきたら、ODA見直しをもって警告することである。
そもそもODA大綱では
「軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分、注意を払う」
と定められており、こうした行為を行っている中国には本来提供されてはならないものだ。
日本側が対中ODA見直しを言い出した途端に、中国があわてて感謝式典を行ったり、森首相の神の国発言の際も従来とはうって変わって、声高な批判を抑制していた。
ODA見直しは中国が最も恐れている我が国の切り札なのである。
南沙でも、尖閣でも、米軍が近くにいた時には、中国政府はおとなしくしていた事を思い起こそう。
相手が強ければ静かにしており、弱ければ傍若無人に振る舞う、というのが中国の外交パターンである。
「事を荒立てたくない、相手を刺激したくない」という日本政府の逃げ腰の態度は、中国側にさらに一歩進んでもよいという誤ったシグナルを送る事になり、今日の南沙を明日の尖閣にする最も危険なアプローチなのである。