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大阪都抗争/Drama under the bridge 2 逆転の統一選

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結党からわずか1か月後の初陣に維新は完勝した。
5月23日に投開票された大阪市議福島選挙区の補欠選挙。
維新が擁立した新人の女性会社役員、広田和美は8491票を獲得し、2位の共産党新人に4000票近い大差をつけた。
……
さらに市議らに衝撃を与えたのは、投開票日の橋下の発言だ。
「(都構想という)目指すべき方向が一緒なら民主でも自民でも共産でも門戸を広げたい」と、各党市議に維新への合流を促し、その参加期限を6月下旬に区切った。
参院選と同日に行われ、維新が新人候補を擁立する大阪市議生野区補選が念頭にあった。
橋下は「生野区補選の段階で敵か味方かをハッキリさせ、戦闘モードに入る」と言い切った。
効果は抜群だった。
一人、二人と維新にくら替えする自民党市議が相次ぎ、維新市議団が生野区補選までに11人の勢力となった。
……
「勝負どころ」を見極めて巧みに立ち回り、政治基盤を強めていくのが橋下流の真骨頂だ。
自民、公明両党の支援で知事選に当選したにもかかわらず、
……
新聞各社の世論調査などで民主党勝利がの濃厚とされるようになった段階で、
……
「民主支持」を表明した。
この時の衆院選で、大阪の19小選挙区は、民主党が17議席、社民党が1議席を獲得した。
自民党はわずか1議席にとどまり、公明は当時幹事長だった北側一雄を含む現職4人全員が落選した。
自公両党からは「元々厳しい戦いだったとは言え、橋下の裏切りが確実に影響した」と恨み節が漏れた。
一方、橋下は政府政府の地域主権戦略会議(議長・首相)のメンバーに選ばれるなど、民主党中枢や政権への発言力を手にした。
参院選は静観した。
しかし、同日に行われた生野区補選は、維新が民主党、共産党の候補を大差で退け、福島区に続く2連勝を飾った。
橋下が「大戦争になる」と予言した通り、11年4月の統一選が近づくにつれ、既存政党との関係は抜き差しならないものになっていく。
……
「橋下知事は知事選の恩を忘れ、我われに手のひらを返した。自民党の府議も大阪市議も大勢、(自分の)選挙区が大変だからと、維新の会に行った」。
党府連会長で参院議員の谷川秀喜は、12月の府連の会合で、野太い声で悲壮感を漂わせ、激を飛ばした。
「橋下知事は『大阪の指揮官は一人でいい、自分が全部やる』と言ってる。バカみたいな独裁者を知事にしたのは我われだ。責任を持って引きずり下ろし、知事の考えていることを打ち砕かないといけない」。
民主党大阪府連の中でも、統一選で維新と議席を争う地方議員を中心に、主戦論が高まった。
……
岡田(民主党幹事長)は大阪市内での講演で、「住民に近いところに権限、財源を移すのが地域主権だ。大阪市や堺市から権限を吸い上げ、住民に遠い府(都)に持っていくのは地域主権でも何でもない」と都構想を批判した。
ただ、、公明党は都構想への賛否に踏み込むことを慎重に避けた。
「人気のある橋下と対決しても得るものは何もない」。
同党大阪市議は「あいまい戦略」の狙いをそう語った。
 
統一選に向けた戦略を組み立てる上で、橋下が意識していた政治家が二人いた。
一人は元首相・小泉純一郎だ。
……
低迷する大阪はタイタニック号――― 。
好んで披露したのが、沈没事故で多くの犠牲者を出した豪華客船に大阪をなぞらえた話だ。
「僕は船長だから大阪が沈んでいるのがわかる。でももう一人の船長、平松市長はバイオリンを聴き、ワインを飲んで酔っ払っている」
「大海原に飛び込み、(都構想で)大阪をつくり直そう。やるかやらないか、二つに一つだ」
 
平松や既成政党を「抵抗勢力」に見立て、都構想という一つの争点(シングルイシュー)だけで賛否を迫るスタイルは、05年の郵政選挙で自民党を圧勝に導いた小泉と重なる。
競争や規制緩和に軸足を置く考え方も共通する。
橋下は、小泉を閣僚として支えた竹中平蔵にも度々会い、教えを請うていた。
小泉を念頭に置いてか、橋下は民意のつかみ方を報道陣にこう語っている。
「政治は言葉で動かす。そこまでやるか、というところまでドンドンやれば、民意は後押ししてくれる。(支持率の下がっている)民主党は下手ですね」。
敵方にされた平松は、毎日放送(大阪市)のアナウンサー出身だ。
言葉のプロだが、橋下の演説力には舌を巻いていた。
「知事は日本トップクラスのアジテーター。間近に演説を聞いてたじろがない人はむしろ少ない」。
しかし、その論法には、いわれのない中傷や論理の飛躍が目立つと感じていた。
「法外な値段で布団を買わせる催眠商法と一緒。あの人に布団を売らせたら、売り上げ日本一になれると思うけどね」。
平松はこの頃、皮肉を込めて知人にそう話している。
 
橋下が仰ぐもう一人は、新党「国民の生活が第一」代表の小沢一郎だ。
維新の発足時、橋下は「選挙戦略は小沢イズムが手本」と宣言した。
10年7月の参院選で、民主党の幹事長だった小沢がタレントの岡部まり(大阪選挙区で落選)、柔道金メダリストの谷亮子(比例代表で当選)らを擁立するのをみて、「なるほどな、と思わせる候補者。勉強になる」と報道陣に話した。
維新の公募した統一選の新人候補には、弁護士、会社役員、国会議員秘書ら、多彩な顔ぶれが決まった。
橋下や幹事長の松井は、とくに各党の大物現職がいる選挙区に、話題性の見込める「美人刺客」をぶつけた。
府議選の大阪市生野区選挙区(定数2)で公認したのは助産師の荻田ゆかり。
現職は前理事長で自民党府議団の朝倉秀美と、民主党府議団幹事長の西脇邦雄。
朝倉は前議長で自民党府議団幹事長で、橋下を担ぎ出した立役者だ。
「何で俺が橋下と戦わないといけないのか」と戸惑いを隠さなかった。
大阪市議選住吉区(定数5)には、ファッションモデルショーやテレビコマーシャルで活躍した経験のあるモデルの伊藤良香を送り込み、もう一人、橋下の特別秘書の川崎大樹も公認した。
挑む相手の現職には、自民、公明、民主各党の重鎮がそろっていた。
とはいえ、新人の多くは自前の組織や知名度がなく、頼みは橋下人気だけだった。
街頭に飛び出した新人たちは、19000円で購入した橋下の等身大パネルを傍らに置いてチラシを配り、橋下が各候補向けに吹き込んだ約25秒の声をCDラジカセで繰り返し流した。
「大阪維新の橋下徹です。○○さんと一緒にワン大阪を実現しませんか?」
……
府議選の場合、風で勝敗が左右されやすい一人区が33選挙区に上るうえに、地盤のある現職が28人と多かった。
維新の府議会第一党の維持は確実視され、「40~45議席は堅い。投票率が大幅に上がれば過半数(55議席)もあり得ないことではない」(自民党府連幹部)との見方すら出ていた。
ただ、全24区が定数2~6の中選挙区である大阪市議選では苦戦が予想された。
全員当選でようやく達成できる過半数は、当初から難しいとされ、維新幹部が「現実的な目標」としていた30議席獲得にも、全区で一人を当選させ、さらに6選挙区で複数当選が必要だった。
新人ばかり3人を公認した東淀川区(定数6)のように、共倒れ覚悟でかなり無理をした選挙区も多く、橋下も「大勝ちできるかどうかは投票率次第。70%まで行かないと苦しい」と語っていた。
加えて、思わぬ誤算があった。
11年3月11日の東日本大震災。
……
世間の関心は被災地に向き、「選挙どころではない」との雰囲気が広がった。
テレビ、新聞の報道もほぼ震災一色になり、大阪都構想はかすんだ。
メディアを通じて得意の「橋下劇場」をつくりだす戦術は使えなくなった。
4月1日の告示日、橋下は都構想で「解体する」と標的にした大阪市役所でマイクを握ったが、取り囲んだのは支持者ら数10人だけ。
「有権者の関心が薄まったのは残念でならない。淡い期待は持っているが…」。
報道陣に弱音を漏らした。
……
選挙戦最終日、報道陣から手応えを聞かれ、苛立った表情で答えている。
「わかりません。既成政党が強ければ、力ない政治家は潰れるのみ。パワーゲームなんで仕方ない」。
 
予想通り投票率は伸びなかった。
……
ところが、その「逆風」の中で、維新は予想をはるかに上回る大躍進を遂げた。
府議選では過半数を二人上回る57議席を獲得した。
府議会の単独過半数は、選挙後の会は統合を除いて戦後初めてのことだ。
大阪市議選の当選は21議席増の33人、堺市議選も6議席像の13人。
いずれも第1党に躍り出た。
既成政党側は、公明党が府議選の一人落選飲みと踏みとどまったほかは、総崩れとなった。
大阪の政界地図は劇的に塗りかわった。
大震災は維新の勢いをそがなかった。
……
維新圧勝のニュースが駆け巡った4月10日夜、主役の橋下は自宅に引きこもり、マスコミの取材に一切応じなかった。
一夜明けて、勝利宣言をするはずの11日、府庁で待ち構えた約50人の報道陣の前に現れた橋下から飛び出したのは、予想外の「敗北宣言」だった。
「大阪市議会で過半数を取れなかったワケですから、我われは敗北者。負けた立場で(既成政党に)あれこれ言えない。大阪都構想はいったん白紙にし、他党と話し合いながら進めたい」。
過半数に11議席足りない大阪市議会では、たしかに、第二党の公明党などの協力を得なければ都構想は進められない。
しかし、第一党となった維新が「負けた」とは誰も思わなかったし、橋下本人も本気では思っていなかったはずだ。
「公明党などを都構想協議に引きずり込む誘い水。余裕の裏返しだ」。
市幹部はそう受け止めた。
 
低姿勢に出た橋下だが、一方で「知事、大阪市長のダブル選挙」を打ち上げ、既成政党を揺さぶった。
「敗北宣言」翌日の4月11日、橋下は松井、浅田と大阪・西天満の小料理店に集い、統一選の打ち上げ会を開いた。
「過半数を取った府はいろんな事を勧められる。あとは市長選や」。
おでんをつつきながら、そんなことを話し合ったという。
 
  
(『橋下劇場』 読売新聞大阪本社社会部)
to be continues.

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